教主様のお言葉 - 最新エントリ |
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最新エントリ
2025/10/11
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月9日、自修行に入る。 後、資料検分、昨日の日記等記める。 御歌を起す。 所用にて出かける。 田中君随行にて夕刻帰庁す。 後、鏡君も呼びて、昨日戻りし脇差の納袋、納箱を奉製すべく寸法取りをする。 私へ50有余年ぶりに返戻されし由縁を、また、昨日、聞きし敬一郎さんの身上のこと等も少しく話しおく。 驚嘆の状であった。 後、洗体、鎮魂に入る。 新聞では『京都大学副学長の北川氏ノーベル化学賞、金属有機構造体開発。CO2回収へ夢の吸着剤』と。 2人のノーベル賞受賞に1人の国民として心より祝福申し上げたい。 また、ガザ和平交渉も見えてきたようだと。 早い停戦となればと願うばかりではある。 翌10日、自修行早目とす。 田中君随行にて出かける。 10時前に帰庁し、財務運営検証法を説き示す。 後、明日の特別神事の霊璽祈祷簿を作成す。 新聞に『ガザ停戦合意、ハマス、全人質解放へ。トランプ氏発表。和平案第一段階』とあった。 よい方向に伸展するを期待したい。 公明党が26年の連立より離脱したという。 早晩に維新、国民が政権与党に加わるであろう。 これでよいのである。 公明党の選挙協力がなくとも何の問題もなき動きとなる故に何の心配もなしとなるを私は信念すものである。 潔斎、鎮魂に入る。 令和七年十月十日 教主 |
2025/10/09
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月8日、自修行早めになす。 8時15分、平松総長、秀香君随行にて、私の従弟である、石巻の三山大神教湯殿山さんに出向す。 高速道で行くと一時間程で着く。 今日は私が幼少期より何かとお世話になってきた叔父さん叔母さん、 そして、お二人の亡くなられし娘さんの慰霊を願い上げてのことである。 私がこれまでお世話になった方への御礼の大事の一環ではある。 80歳を超えてその想いが強くなってきている。 不義理を残して旅立つはの想いではあるが。 管長先生の誠に丁寧なる慰霊等の祈りを拝受す。 祈りの中で、何度も何度も感謝を申し上げた。 終りて88歳となる長姉の方より敬一郎さんが小学生の頃に語りし身上のことも鮮明に記憶され、それを語られた。 敬一郎さんに対する私の知られざることも教えて下された。 有り難きことであった。 私の次兄のことも話された。 驚くべきことであった。 叔父さんが私の若き頃より預かりし脇差の日本刀も50年ぶりに返戻された。 実に奇すしき事の多かりし、そして、有り難き一日となった。 温かいおもてなしを賜りしなり。 親族の絆を固く結ばせて頂いた。 全てが大神のおみちびきであり、故人のおこころと拝するものである。 正に神業の奇毘なる一日でもあった。 午後2時過ぎに帰着、少し寛ぎて、事務をとり、夕べの謹行、資料検分、教報の最終校正に入る。 私が大巾修正をなしたことで、紙面が明るく躍動感を観るものであった。 もう10時となった。 令和七年十月八日 教主 |
2025/10/08
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月6日、自修行に入る。 事務総長より御礼の報告が入る。 田中君随行にて所用にて出かける。 昼前に戻り少し寛ぎテレビをつけると高市早苗氏の報道である。 若き頃の経歴に大き志をもって努力なされてきた人物であるを高く評価するものであった。 日本を変えてほしいものと期待をしたいものである。 事務をなし、夕べの謹行に入る。 身延山参拝より無事に帰社しましたの報が、トラベルの福原社長より入る。 何事もなく帰山されしに感謝を申し上げる。 翌7日、自修行に入る。 8時過ぎに田中君随行にて所用で出かける。 車中にて大祭関連事項の報告を受け、諸々の指導をす。 新聞では坂口志文氏がノーベル賞受賞の記事が一面を飾る。 生理学・医学賞という。 自己免疫を抑える細胞発見とも。 心よりお祝い申し上げたい。 同日の産経抄に『自民党の高市早苗総裁は、尊敬する人物に英国サッチャー元首相を挙げている。 日本版の「鉄の女」を目指してきた。 サッチャー氏の実家は食料雑貨店を営み、高市氏の父親は会社員、母親は警察官だった。 ともに中流家庭の出身である』と。 サッチャー氏は下院議院選挙で落選中に結婚している。 『私もサッチャーさんに倣って、落選中にバタバタと結婚しました』と、今週の「週刊現代」で答えている。 当時衆議院議員だった山本拓氏とはその後、離婚、また再婚して現在に至る。 拓氏は今年に入って脳梗塞で倒れ、高市氏は議員宿舎で介護してきた。 小学生時代学校から帰宅すると、幼い弟のおしめを替えたり、ミルクを飲ませたりしていたそうだ。 高齢となった両親が暮らす奈良の実家に夜向かい、翌朝早く東京に戻る。 遠距離介護も経験している。 『介護や子育て、お子さんの不登校などで離職を余儀なくされる人を減らしたい』 今回の総裁選の出馬会見では自らの介護体験を踏まえて、家事支援サービスを国家資格にするなどの施策を訴えていた。 決して『タカ派』だけの政治家ではないと。 公明党が手を切るやもとの報道もある。 己が信念を貫きて協力をする党との連携を組み過半数を保つか、不安定ながら政策ごとにての協力となるか。 何れにしても、日本丸は新総裁の肩にかかっている。 大神が風を吹かせて下さると私は信念すものである。 頑張れ、高市新総裁とエールを送りたい。 もう午後5時を回った。 日中は教報の校正をする。 大分修正するところありて、2時間余を要す。 総長等来宅、私の貸与す資料、段ボール箱1つ分渡す。 勉強してほしいものと希ってのことではある。 これより夕べの謹行に入る。 令和七年十月七日 教主 |
2025/10/06
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月4日、自修行に入る。 朝から教師等に確認、教導す。 今夕は御魂結之神儀が教務総長斎主にて斎行される。 もう二十度位になるかなと。 この尊い儀式を生命ある限り受けられるごと考えねばないものとの心となっている不思議がある。 日中に14日に大阪より来仙する方のこれまでの相談事を改めて紐解き再認識す。 後、教化運営の推進策を練る。 午後7時前頃に教務部長より、『只今、儀式終了』との報告を受くる。 よい儀式であったようである。 御神導に拝謝せん。 明日は15名程で、身延山参拝に出向となる。 交通安全にて良い参拝を祈る。 翌5日、自修行早目とする。 8時に神社へ。 8時半より両総長と運営等にて打合せをする。 9時半よりは秩父教会の小澤教会長外3名の篤信者の皆さんとこれからの神事についてお話しす。 後、神儀執行に入る。 2時間程の厳儀となった。 大神の尊きみちびきの神儀とはなん。 有り難きことであった。 昨日の自民党総裁選では高市早苗氏が小泉進次郎氏を破り、初の女性総裁となった。 国を憂うる政治家の一人ではあろうとみているが。 靖国神社も参拝するの強き信念を希うものだが。 未だ、その機、熟さずとするか否か、見届けたい。 夕刻よりの謹行、感謝拝、資料検分なす。 今朝は早くに身延へ発った。 郡山経由で会津の信者さん方と合流して向かうという。 無事なる参拝をと重ねて乞い祈まん。 今日の一日に感謝す。 令和七年十月五日 教主 |
2025/10/04
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月2日、自修行常の如し。 拝神後に御歌を起す。 このところ日々に起すは難きとなっている。 遅い食事で小むすび2個頂く。 熊川君より明日の神事の件にて確認あり。 手帳を今朝は見ずにてうっかりしていた。 助かりしなり。 この後、秩父関係者3名の相談事をまとめ整理する。 神事部長よりも相談書が届く。 少々難解なる問題である。 何とか解決させて頂かねばない。 新聞ではマンション入口で愚かなる男が70代の女性に馬乗りになって何度も何度も包丁をかざし刺し殺したと。 無差別に、誰でもよい、殺しやすい弱い人を狙ってという。 こういう身勝手な人間がどんどん増えている。 恐ろしい人間社会となっている。 慨むばかりである。 政党も自民党総裁が総理大臣となる模様である。 3人に絞られてきたという。 国家観を柱とした人に期待したいが、今の政界では甚だ難きではあろうが。 夕刻より潔斎、謹行に入る。 以下常の如し。 翌3日、自修行仕え、太陽日拝鎮魂を行ずる。 朝食を有り難く頂く。 神事部次長よりの確認が入り、信者さんの願い事に応える。 後、神社へ。相双分祠篤信者の方の特別神事を奉行す。 清明なる神儀となる。 業者さんが祈祷殿上部側面西壁の改修に来られた。 一声お掛けし下山、奥都城を拝し帰宅す。 5日の神事、14日の神事の整理をなし、まとめる。 明夕の御魂結之神儀の教化布教が覚束ずなり。 事務をとり、夕べの謹行に入る。 資料検分、諸々の懸案事がある。 何とかせねばないが。 御神助を仰ぐ他はなしである。 令和七年十月三日 教主 |
2025/10/02
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月1日、自修行早目とする。 9時半、神社へ。強い雨降りである。 参集殿にて10時より教化講義を執行す。 神拝詞の誓詞を紐解き厳しく教師等を諭す。 12時15分、終了し、14時より教団元責任役員の追悼御霊鎮魂之儀を斎行す。 遺族の方3名と教職員も参席をなした。 1時間余の厳儀となる。大き感動の有り難き儀式となった。 後、祖霊殿にて偲ぶ会をもって故人の想い出を語った。 私は欠礼をしたが、教母さんが参会、遺族の皆さんが心から喜ばれ、感謝を申しておりましたとの報告を受くる。 何よりであった。故人の御冥福を祈るものである。 そして、生前の教団への貢献に心からの感謝を申し上げる次第である。 夕刻より潔斎、謹行に入る。 令和七年十月一日 教主 |
2025/10/01
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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9月29日、自修行常の如し。 事務総長、熊川君等の指示書をまとめ、事務にて昼近くになってしまった。 その後、遅い食事をとる。 その後も事務整理をなし、夕刻より潔斎、謹行に入る。 一つの懸案事項がもう少しにて事成れりに大神に感謝せん。 テレビにて群馬の前橋市の女性市長が幹部職員とラブホテルへ行って打合せをしていたと。 10回もである。 更に驚きしは弁護士であるという。 法的にも世間の目にても考えれば解るものであろうが。 そのように事向ける何物かの誘惑に動かされてしまったのであろうかと。 更に驚きしは市長続投の意志とも。 日本もそちこちで首長の愚行が際立つごとに政治家のモラルの低下を観るものである。 慨むばかりである。 翌30日、自修行を早くになし、緊急の用向きにて田中君の随行にて出かける。 午後3時過ぎに帰庁す。 諸々のこと、大事なく事終えしに安堵す。 教務総長よりも奉仕者の相談にて報告入りて指導、指示す。 この事案は大神様よりの私共への反省の動きとも拝す。 まだまだ心行き届かずの点ありを諭されしものと。 夕刻より潔斎、謹行に入る。 明日の儀式の習礼す。 疲れありて早くに床に入る。 令和七年九月三十日 教主 |
2025/09/29
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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9月27日、自修行常の如し。 10時半より会津の篤信家の方とその姉さんが神奈川より来られた。 私と同じ年の80歳という。 足の達者な方のようだ。 長女姉の子供が24歳で不幸な亡くなり方をしていたとのことで、憐みの心をもって供養をなされた。 交霊なし感謝の念いを拝受すなり。 私も一つの徳を積ませ頂いたものと。 帰宅なし、少し寛ぎて、明日の特別神事の確認とまとめなし、祈願霊璽簿を清書す。 続いて、10月1日の追悼御霊鎮魂之儀の式次第、誅詞をまとめ、折本に清書す。 夕刻5時を回っていた。 潔斎なし、鎮魂に入る。 今夕は少し時間短縮なし、書斎にて資料検分、感謝の祈りを捧げた。 夕方に2人の教師より教化の朗報を受くる。 有り難きことなり。 翌28日、自修行仕える。 9時30分、神社へ。 丁度祈祷殿前にて今日の神事者の若い夫婦と会う。 後、特別室にて神事内容を解く。 理解難き面もありそうなので、丁寧に少年少女でも解るごと話す。 1時間も話したかと。 後、特別神事執行す。 1時間半程の厳儀となる。 儀式後に信仰の尊さを少しお話しす。 35歳と30歳の夫婦ではあるが出雲大社、おだいこくさま、伊勢神宮、 8月15日の武道館での戦没者追悼式典も全く知らずであった。 この姿が当り前になってきているのかもしれないと不安は否めずであった。 考えみれば家庭でも学校でも誰も教えないのだから、興味や関心がなければ詮なきものであろうとの諦めもや。 下山時に奥都城を拝し帰宅す。 事務を執り、夕刻より潔斎、謹行に入る。 教務部長と少し運営について打合せす。 今日の一日に感謝せん。 令和七年九月二十八日 教主 |
2025/09/27
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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9月25日、自修行常の如し。 雨模様の朝となる。 9時30分出立、神社へ。 奥都城を拝し、本殿、祖霊殿をゆるりと拝す。 今日は月の開祖祭にて志胤総長が斎主を仕えた。 私は10時半頃より、新宗連事務局長が来山、理事長の親書を持参、事務局長が読まれるをじっと聞き入る。 後、私の意見を伝える。 あとは、しばらく歓談、皆に見送られ下山す。 教務総長が駅まで送るとか。 私は帰庁なし、初江さんから肉まんをどうぞとのことにて美味しく頂いた。 朝は小さなおにぎり2個のみにて、それなりにお腹が空いていた。 後、教報10月号の原稿を書きあげる。 平松総長外3名より連絡が入り指導す。 夕刻より潔斎、鎮魂に入る。 翌26日、自修行常の如し。 今日は午前中事務総長外3名の職員との報告を受け指導す。 来年4月6日より8日までの金峯山寺さん参拝の3日目、三千院さんを予定していたが、 小堀先生より比叡山延暦寺での行事の紹介があり、その予定を組ませて頂き、ご相談を申し上げた。 有り難きことである。 午後よりは、10月1日の追悼御霊鎮魂之儀の為に、祈り次第、誅詞を草案、記めた。 永年教団奉職をなされた貢献者のお一人でもある。 心よりの追悼を申し上げねばとの強い想いがある。 今世の多くが家族葬の流れにある。 中には火葬場で焼却するだけの人もいるという。 感謝のかけらもない姿となっている。 この如きがどんどん増えてゆくのであろうかと。 大和はそうあってはならずと、教化布教を徹底せねばないものと思うばかりである。 令和七年九月二十六日 教主 |
2025/09/25
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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9月23日、自修行に入る。 日拝鎮魂を行ず。 今日は私の思いが走り、3人の方々の動きがよく見えし日となり対処す。 教務部長、田中教化次長等と再々の確認指導があった。 夕刻よりは潔斎、鎮魂に入り、書斎にて資料検分、夫々にコメント附して送信す。 今日は御神導を多岐に亘り賜りし日となった。 少々疲れしなり。 翌24日、自修行早目に執行する。 7時50分、田中君随行にて病院へ。 14日に傷めた左手甲の治り悪く診てもらいしなり。 皮膚の剥がれはできるだけ残してすぐに診てもらうことを重ねて話された。 以前頂いた薬で治せるものと甘い考えをもち、十日を経てしまった。 素人の生兵法であったを猛省するものとなった。 帰宅なし、総長より、私の父方親族で永年教団に奉職され理事職を務められた方が身罷り、 葬儀は家族葬にてなしたを知り、教団での慰霊をさせて頂くことを御子息にお話しさせて頂いた。 故人への永年の功労に対して、感謝の心をもって、10月1日の教化会議後に斎行させて頂くことにした。 夕刻より夕の謹行に入る。 令和七年九月二十四日 教主 |