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『諭せども諭せども少しも糺さず』
投稿日時 2019-1-13 0:00:00
執筆者 taiwa2
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1月12日、謹行134日目。
昨日の教職員会議にて、大和の光11月号の教主文を誰一人として
読んでいなかったことがわかり、心折れるばかりであった。
『諭せども諭せども少しも糺さず』の心根はどのような仕組みになっているのであろう。
この如き教職員の姿を改善できるであろうか。
『教えには悲観落胆何もなし。只管為すだけ。』ではあるが、私の闘いでもある。
世間の会社では業務指示に従えぬ者、怠慢者は首を切れば事足りるが、
我が教えにては縁のあるうちは救わねばない道がある。
難儀である。
11時より、故小山田生美重大刀自之命の一年祭が統理斎主の下、斎行された。
親族家族20名余の参列をみた。
儀式も厳しく評価すれば不手際の多かりしであった。
まだまだ未熟である。
私も一言だけご挨拶とのことで、在りし日の巫女修行の厳しきを偲び語らせて頂いた。
間違ったことは決してしない、決めたことはやり遂げるという信念の教師であった。
霊界よりのみちびきを乞い願うものである。
平成三十一年一月十二日 教主
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