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無防備の我が日本
投稿日時 2025-4-2 0:00:00
執筆者 taiwa2
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3月31日、自修行常の如し。
9時半神社へ。
奥都城を拝し、特別室にて篤信者の方と担当教師に、これからの神事内容の詳細を紐解いた後、執行す。
1時間余の厳儀となる。
後、鏡君と水資源、原水槽等にて打合せす。
諸々の問題のあるを気づく。
田中君も祈祷を終えて、明日の教化会議の打合せす。
これまでの会議の不足点を知るものとなった。
明日の運営方針を定めることができた。
新聞に『ミャンマー72時間迫る。地震死者1,700人、1邦人不明』と。
大変な事態となった。
また『金沢に記念館計画破綻。1932年のテロ実行犯韓国英雄・尹奉吉。抗議活動が激化。市、関知できず』と。
この如きを知り得ぬ役所の仕組みなのであろうか。
全てに無防備の我が日本ではある。
翌1日、自修行常の如し。
神社では5時半より月始祈願祭が嗣親斎主にて斎行された。
9時半より教化会を開会する。
私が座長となりて3時間程教導する。
教化目標推進が停滞している状を脱却、伸展すべく助勤体制の沿革を図った。
昼食後は助勤者と担当教師の打合せを密にするを教導す。
明日は運転免許の高齢者講習会を受講せねばない。
令和七年四月一日 教主
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