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教化難き因
投稿日時 2024-9-2 0:00:00
執筆者 taiwa2
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8月31日、自修行常の如し。
9時45分、神社へ。
奥都城拝し、祈祷殿にて参列者位次を熊川君召して移動す。
今日の横尾君の祭員奉仕なるも伝えておらず、相も変わらぬ姿に慨むばかりなり。
祈祷太鼓の位置も自ら合わす。
一日の月始祈願祭の舗設にてこれからの特別慰霊供養に不都合多かれど変更するはやめとした。
参列者の大学3年生の娘さんも何故か参列したくなって来られたことを夕刻の日報で知る。
10時半より2時間程の厳儀となった。
私の心にて祈祷も奉行す。
娘さんの悩みも少しく解除すべくの教導もなした。
どこまで理解できるかは当人の心次第となろうが。
その後帰宅なし、お昼を頂きて少し寛ぐ。
夕べの謹行に入り、資料検分、指示のコメント付して応信す。
もう午後9時半となった。
台風の日本海へ抜けるの神託を夕べの鎮魂にて拝すが、富山も心配ではある。
ご神助あれと祈る。
9月1日、自修行常の如し。
御神託のごと、台風が日本海への進路と変じたようである。
瑞詮寺道場が案じられるが、『大丈夫、守られし』の御神意をも拝した。
月始祭は何事もなく無事の執行となる。
6日の篤信者の特別神事の整理をなし、霊璽簿、祈願詞も記むる。
最近、体力の落ちしを感ずるは否めずであるが。
痒み症状もそちこち出てきている。
治まったかと思うと出てくる。
厄介な病ではある。
今日より長月に入る。
8月の教化布教も思うに任せず低迷をきたした。
教師等の踏ん張りを期待するのだが思うに任せずである。
1日も早くその壁を突き破らねばないのだが。
3日の勉強会にて教化難き因を紐解きたい。
その方図を教師一人ひとりが見い出してほしいものである。
夕べの謹行等常の如し。
令和六年九月一日 教主
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