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三陸分祠竣成
投稿日時 2015-12-4 0:00:00
執筆者 taiwa2
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11月29日7時30分に出立し、顧問の大泉先生宅を経由してご一緒に気仙沼へ向かった。
10時過ぎに到着すると業者の方、職員、信者さんの笑顔の挨拶を頂いた。
大泉先生等と玄関前までのスロープの渡り初めをなした。
追加工事は少し残りしも立派に竣成を迎えたことに感謝したい。
統理外祭員にて11時より儀式が斎行した。
御神前には7台の神饌が供えられていたが、更に手長にて14台献供された。
実に盛大であった。
我が心の見惚れるごとであった。
『神事は盛大に』の御教えではあるが、豊かな心とさせて頂いたは有り難いことであった。
大泉先生より開祖様をお称えし、ご信者を労う慈悲溢るる祝辞を頂いた。
開祖様をお慕い申し上げ、教団を愛する心の発露であった。
私はあの大震災にても凛として動じぬ気仙沼教会の奇蹟を説かせて頂いた。
直会祝賀も皆さんのお心で神人幸栄ふ庭となりしを嬉しく手を合わすばかりであった。
私は大泉先生を開祖様ご修行聖地でもある岩手の綾里の里の立石神社へご案内申し上げた。
母親の古里に帰った想いがしますと感激されておられた。
開祖様ご生前に二度ほど誘われたが実現できなかったようである。
三度目の誘いにてようやく参拝できましたと話された。
この日は、奥松島の松庵という宿にて50年間の教団奉護へのご尽力に感謝し、
慰労の席をもたせて頂いた。
職員の皆も数日前からの準備にて大変であったであろう。
心から労いたい。
翌30日7時30分より皆で朝食を頂き、8時30分に宿を立った。
大泉先生をお送りし帰宅。準備をして神社へ向かった。
11時30分より3組の霊界婚儀式を斎行し、2時より第4回の教主特別講習会を開講した。
教師等が学修せしごとを己が活動に活かせぬごとに心の重きものを禁じ得ずではあるが、
頑迷なる教師等の心と脳を浄化せねば道は進めずである。
他宗教団体と違い深い因縁の人が多く、心身虚弱者が多い教団ではある。
『一切を救う教団』の由縁ではある。
12月1日午前5時から師走の月始祭を奉行した。
大分寒さが厳しくなってきた。
1時間30分程の祈祷を厳修し、引き続き職員会を開いた。
6日の開祖様生誕祭・大泉顧問感謝の会に対しての動員が全く弱い実状を慨なむばかりではある。
『諭せども諭せども行い難し』では大神の御心に恥じ入るばかりである。
11時よりは2日目の講義をなした。
さぁ、皆で気を入れて大神様より神伝神授されし尊き事業の達成成就に向けて大同団結、
邁進するを誓うものとなった。
12月2日、岩手北上より来山された方の供養を執行した。
その後、山形の雅山さんと開祖様の微笑みの座像を製作すべく打ち合わせをした。
職員の鏡君の高校の同窓生とのことも知った。
これもご神導であろう。
来年3月の開祖祭までに製作可能という。
先日、お山に来て開祖様の写真、顔やお姿を見て、その晩より夢にて導かれているという。
12月3日、午前、午後と2座の特別神事を斎行した。
共に4次元の世界を垣間見る心境界となった。
神・霊・心との感交・交流を感体する故の現象である。
明日は久しぶりにて書き物をする時間がとれそうである。
事務もたまると大変に難儀する。鎮魂も穏やかに回を重ねたいものである。
平成二十七年十二月四日 教主
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