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震災がれき
投稿日時 2012-11-13 0:00:00
執筆者 taiwa2
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11月12日、女川町の役場へ向かった。
道中は雨模様であった。
女川町近くには仮設住宅が鬱蒼と立ち並ぶ。
生活の不自由さを改めて垣間見る想いで胸が痛くなった。
瓦礫は大分片付けられていたが、本当に悲惨極まりない光景である。
病院のある高台へ登った。
この病院の1階まで津波が押し寄せたそうである。
駐車場の車に居合わせた人は車と共に藻屑と消えたという。
恐ろしさがまた甦ってくる。
役所にも自由に使える財源は少ないという。
このような中で政府は直接関係ないところに何故に理由をつけて予算を配るのだろうか。
腹が立つばかりである。
町長さんとはお会いできなかったが、副町長さん、課長さん、係長さんが
町長さんの意向を受けて大変親切に対応してくださった。
これもお忙しいところ同行して下された相沢光哉県議本教相談役の仲介のお蔭である。
私共の神社に大震災復興の記念碑を建立すべく、その祈念の永遠の証としての
『震災がれき』を頂き、その上に山砂を盛っての築山庭園を造り、
記念碑を建立するものである。
役場より特段のご配慮にてダンプ10トン車にて4台分をお譲り頂くことになった。
本当に有り難いことである。
建立施工には多くの問題がある。
山砂、ダンプの手配等困難を極めている当地である。
女川町の復興は早くとも3年から5年はかかるものと思われる。
その祈りの為にも是非にも復興記念碑の建立を成就せねばならない。
平成二十四年十一月十二日 教主
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