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迫力ありし言の葉
投稿日時 2024-4-19 0:00:00
執筆者 taiwa2
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4月17日、自修行常の如し。
開教祭での講話を聴く。
迫力ありし言の葉に我が御魂にも強く気息を拝すなり。
大和は宇宙真理の実相なるを深く覚るものである。
教理展開に泉の湧くごと尽きぬものとなん。
大和の光教報一面の書を揮毫す。
教歌、習字も日々の日課とすべく以前に戻したいものと心すものである。
富山瑞詮寺へ総長外3人で今朝出向す。
毎月御祭りを執行している。
信者さんやお世話になっている方にもご挨拶してくるようだ。
朝は雨模様であったが、次第にお天気がよくなってきた。
祈祷殿内外のトイレの洋型への改修工事に入っている。
和式はもう若い娘さんには使用法が分らないと。
私も時代を感じるものとなった。
翌18日、自修行常の如し。
書斎にて何人かの資料検分、朝食後、教歌6首を作歌後、習字す。
毎日の日課とせるごとなり。
昼過ぎより鏡君に池の水のこと、御神像の高圧洗浄のこと等尋ねる。
少々問題点のあるを訓戒す。
本田君に祝詞奉製の状態を確認す。
何とか仕上げましたので、夕方届けますという。
楽しみではある。
畠山君には7月7日の埋納祭の御霊神の読み上げ名簿の作成にて大いなる勘違いあるを覚りて大巾に修正さす。
聞く力、理解力が乏しきをみるものではあるが鍛えねばないものと。
令和六年四月十八日 教主
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