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原爆投下62年のヒロシマ
投稿日時 2007-8-7 0:00:00
執筆者 taiwa2
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八月七日の産経新聞朝刊にて何ともおぞまじき記事を見た。
『ゴミを掃除する』として東京・北区の公園のベンチで寝ていた男性に
ライターオイルを使って火を付け、大やけどをさせたという。
別のベンチで寝ていたホームレスの男性は、頭から火柱を上げる男性の姿を目の当たりにして
「ゲーム感覚なんだろうが、歯止めがない。あれでは死んでしまう。怖すぎる」と声を震わす。
少年五人等の犯行であり、弱者を襲撃し『乞食なら死んでも関係ない』
『役に立たない』と言って全く反省がないという。
この心根が恐ろしくおぞましいのである。
温かく思いやりの心を持っていた、我が日本の心はどこに行ってしまったのであろうか。
また、河北新報には原爆投下六十二年のヒロシマへ米国在住被爆者の声が掲載されており、
「食べる物も着る物もなく、草を食べる人もいました。兵器を造る物質すらない状況でしたから、
戦争は間もなく終わると気付いていました。米国はどうして、そんな人々の上に
原爆を落とす必要があったのでしょう。世界初の核実験を放送し、その威力を
日本に見せつけるだけでよかったのでは?原爆が人体に与える影響を調べるため、
私たちはモルモットにされました。」と、体験者ならではの米国批判を打ち出している。
その記事の隣には原爆投下を実行したエノラ・ゲイ元搭乗員のコメントも掲載され、
「原爆投下は正しかった」と自信を持って述べられている。
表面的にはとらえにくいが、そこには決して相容れぬ溝があることを感じてならない。
戦争というものは、どのような理由があっても解決手段にはならないことを知り、
子々孫々に伝えていくことも我々宗教者の役目であると自負するものである。
平成十九年八月七日 教主
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