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第七回沖縄慰霊平和使節団
投稿日時 2015-5-29 0:00:00
執筆者 taiwa2
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5月25日、新宗連の「終戦70年・平和への巡礼」参加の為に、統理と沖縄へ飛んだ。
28日までの3泊4日の戦跡巡礼の旅であった。
理事長のお役目柄、団長の任を仰せつかった。
ホテルに着きて結団式、50分程の米国映像記録を編集した沖縄戦のビデオを観賞したが、
戦争の悲惨さもさることながら、日本軍の悪しきを印象づけるものでもあった。
何とも私には心重く不快でもあった。
翌日は平和祈念堂にて慰霊と平和祈願が参加された12教団夫々の祈りで捧げられた。
式典の中では代表献花も奉仕させて頂いた。
安元勝子さんの戦争体験講話も拝聴させて頂き、大変心に染みるお話しであった。
この後、平和の礎、魂魄の塔、白梅の塔、対馬丸祈念館、小桜の塔にて献花、鎮魂慰霊をさせて頂いた。
夕食は沖縄宗教者の会の方4名もお招きし、楽しい交流会となった。
27日には沖縄中部地区・読谷村にて、米軍上陸地、ティラの壕、梯梧の塔、
チビチリガマ、西原の塔にて慰霊鎮魂をさせて頂いた。
この日は読谷村観光協会のガイドさんが丁寧に説明され、よく理解することができた。
殊に米兵従軍記者が書き残したとする文言『地獄の全てを集めた戦争』『米兵に精神を病む者が多くいた』
『18万人の兵士が上陸。後方支援兵54万8千人。海は軍艦で真っ黒となった』など、
その惨劇、その惨状を覚る我が心に、戦争とはいえ何故にこの如きまで無差別に大量殺傷するのか。
そして、原爆までも投下するのかと、憤りと怒りが込み上げるばかりであった。
今世、日本が悪いという自虐史観を植え付ける教育があるが、私には米国連合軍こその想いがある。
白人の有色人に対するおぞましき人間感情である。
翌28日には、旧海軍司令部壕にて最後の慰霊鎮魂をさせて頂いた。
大田中将の娘さんである板垣愛子PL教校長の戦争への想いを聞かせて頂いた。
壕に記された太田中将最後の言葉『一木一草焦土ト化セン糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ(略)』
この心こそ日本人の心であろう。
日本の歴史上にありても欧米中の如き大量の無差別殺戮はない。
この4日間にて私は大東亜戦争の悲惨さを、そして史観を知らず、
何たる愚者であったかを、胸の切なくなる想いの日々であった。
そして、我が心に一つの想いが芽生えだすを感じているものであった。
来年は我が教団立教60周年の記念事業の一つとして、
是非とも沖縄戦跡巡礼の旅を実行したいものと希うものである。
誇りある日本精神をもっての巡礼の旅とすることは申すまでもないことである。
先生方、青年たちと楽しくも意義ある旅となりしに感謝である。
また、梅雨期にありても好天に恵まれたことにも祈蹟を観るものであった。
感謝です。
平成二十七年五月二十八日 教主
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