教主様のお言葉 - taiwa2さんのエントリ |
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最新エントリ
2011/04/17
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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四月十五日、大和拝三法の映像鑑賞と修正の打ち合わせために神社へ上った。 整備事業の一つである神庫の大屋根が葺き上がっていた。 青緑の百坪余ある大屋根である。実に美しい。 しばし見とれるばかりであった。 地震の災いは何一つ受けずに竣工させて頂いた。 御神助に感謝するばかりである。 震災被害の中に一つの光明を観る想いであった。 打ち合わせ後、山野草公園に入る。 可憐な花弁をつけたカタクリ草が美しく咲き乱れている。 そんな中に白い花弁をつけたカタクリ草を見る。 今年も咲いて頂いたかと感慨深いものがあった。 イワウチワはピンクと白の花をつけていた。二種あるのは珍しいという。 一時間程散策をして、心地よい汗を流した。 余震のある中のひとときのくつろぎであった。 地震の時は山が大揺れに動いていたという。 そんな中でもその季節が来れば植物は一生懸命に生きて花を咲かせる。 その強さを学び、復旧・復興に励まなくてはならないと心するものであった。 平成二十三年四月十六日 教主 |
2011/04/16
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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四月十四日に十五歳未満で初めて法的に脳死と判定された少女から提供された 臓器の移植手術が全国五病院で行われ終了した。 東北大学病院でも肺を女性に移植したと報道された。 我が教団の教えから云えば背反行為となる。 自然生命体の一部である人間だけが、科学進歩の力にて他人の臓器を移植してまで 己の生命を保持することは自然生命体の摂理に叶うものであろうか。 自らの力で食べることもできず、まして呼吸することもできない身を、 過ぎる力にて保持することは如何なものかと考えざるを得ない。 生命の営みは厳しきものでもある。 人間だけが許されるべきとの考えは慎まなければならないと私は思考する。 小なるものの調和は破壊への道となる。 大なる宇宙、自然の営みの大調和こそ永遠の栄えの基である。 科学技術、医学技術の進歩も大調和をもって究学してほしいものである。 平成二十三年四月十五日 教主 |
2011/04/15
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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四月十四日、気仙沼市魚町に住む信者さんの母親の三十日祭と併せて、 霊魂安定の祈りを捧げさせて頂いた。 この母親は気仙沼の布教当初よりの篤い信仰者で、 ご夫婦共に教師として多くの方々を導かれた人でもある。 九十八歳の天寿を、先月の十六日に全うした。 魚町は気仙沼港に程近い商店街の一角であり、 十一日の巨大地震による津波に襲われて 家族が九死に一生を得た人たちである。 母親が 「不自由な我が身に構わずに逃げなさい。私はもう十分生きたから」 と息子夫婦を逃がしたという。 我が身を捨てる覚悟でご夫婦を救われたその気丈なる精神に 私は大和の教師たる姿を観る思いがした。 翌朝早くに息子夫婦が母親の元へ駆けつけた時、 しっかりと目を開けられて応えてくれたという。 役所や自衛隊の方に救護され、奥さんの身内の家に数日間穏やかに過ごされ、 十六日の朝に静かに手を合わせられ 「有り難うございました」と祈るが如き姿で身罷れたという。 大災害にも気落ちせず、誠に穏やかな死に様であったそうだ。 大和の教師かくありなんであった。 必ずや開祖様の元にて、共に護り神となられるであろうことを 祈り上げるものである。 平成二十三年四月十四日 教主 |
2011/04/14
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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四月十三日、大崎市の小牛田支教会を見舞いに行った。 小牛田地区は津波の被害こそないものの、屋根が傾き、 地面も亀裂や凹凸がかなりのものであった。 小牛田支教会もかなりの被害を蒙っていた。 それでも「頑張って建物は子供たちの力を借りて建て替えます」 と力強い言葉を頂いた。 本部も一日も早く復旧をしなくてはならないと勇気をもらった。 その帰路、松島経由で名取〜岩沼〜亘理〜山元町まで巡行した。 海辺の近い所までは行くことはできなかったが、 その傷跡は至る所で見られた。 強い余震がここまで続くと、我が身も胸苦しくなるを禁じ得ない。 こんな経験は初めてである。 意識をしなくても、次第にストレスがたまってくるようである。 余震に対する微妙な体の反応であろう。 それでも被災者の皆は頑張っている。生き抜かなくてはならない。 多くの犠牲者の生命の為にもである。 平成二十三年四月十三日 教主 |
2011/04/09
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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四月七日、午後十一時半頃に震度六強の大地震が再び東北を襲った。 私は布団に端座して手を合わせて祈った。 翌朝早くに本庁神光殿、神社の被害状況の報告が入った。 私も早めに本庁神光殿へ向かった。 本庁内部はかなり散乱しており、私も特別会議室の清掃整理をした。 その後、保積家に関わる三か所の墓所を確認に廻った。 各所で倒壊している墓が数多く見られた。 墓石に芯棒が入り固定されていない置石型の墓石のほとんどが倒壊していた。 保積家の墓石はすべて無事であった。 いろいろと見て回り、墓の建立に対しても研究させて頂いた。 殊に合祀墓に関しては参考になるところが多かった。 此度の大地震で復旧がまた遅れることになった。本当に大変である。 教団も負けてはいられない。皆と共に立ち上がらなくてはならない。 多くの善意の人々の為にも、身罷りし人々の為にもである。 平成二十三年四月八日 教主 |
2011/04/05
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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四月四日、第二回目の鎮魂巡行に出た。 気仙沼教会を検分なし、大船渡教会から綾里へと向かった。 気仙沼教会は鹿折地区に在り、津波と火災にて黒土と化した街である。 周りは火の海、火の津波であったと地元の人たちは云う。 恐ろしい地獄絵図であったそうだ。 そんな中、教会は御神護にて凛として健在するは、正に神威開顕の社としか 云いようがない感動を拝し奉るものであった。 一階は津波にてかなり乱されていたが、神座は誠に美しきものであった。 その奇毘さに仰天するものである。如何に神々が護らんとされたか。 その大御心を知るばかりであった。 地元で建設業をされている信者さんと本部よりの清掃団が到着し、 一階のドロを流し、出来得る限りの清掃をさせて頂いた。 地元の信者さんの手配りには心より感謝するものであった。 大船渡教会も気仙沼教会と同様に無事であった。 綾里も広洋館、村上別当さん、立石明神社ともに無事であった。 部落の方々も一人も災害なしとの朗報に安堵した。 沿岸部では開祖様の記念碑の一つが海にさらわれ、 修行地の岬が大津波の被害にあわれた。 大倒木の松の木も一切合切さらわれており、 今回の津波の厳しい様を物語るものであった。 余りにも厳しい天変地異の事象に、手を合わせ祈るばかりであった。 されど、必ず我が民族は立ち上がり、必ず復興することを心に期すものである。 身罷りし方々のご冥福を祈り、 被災者の皆さまに対して心よりのお見舞いを申すばかりである。 平成二十三年四月四日 教主 |
2011/04/02
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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四月一日、月始祈願祭の後に被災地へのお見舞いと鎮魂巡行に出た。 仙台平野岡田地区より菖蒲田浜〜七ヶ浜〜塩釜〜松島〜石巻〜女川地区と巡った。 どこもかしこもこれまでの美しい風景は消えていた。 誠に無惨極まりない現場である。 どれだけ多くの人が、どれほどの想いをもって身罷りし事であろうか。 そして、電気、水道、ガスもない生活、布団に休める場所もない多くの 避難者の方々の想いはいかほどであろうか。心が痛むばかりである。 そしてこのような中でも生き延びた人のあることに光を見るものであった。 我が教団関係者の生死の報を知る度に一喜一憂する。 田畑は塩害で駄目であろう。海も荒れ、当分はやはり駄目であろう。 農業、漁業、各種産業もしばらくは厳しいであろう。 生活の先行きも見えない。 日が経つごとに現実の不安が押し寄せてくるであろう。 こういう時だからこそ、大和は生きた宗教をしなくてはならない。 平成二十三年四月一日 教主 |
2011/03/30
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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三月十一日、午後二時四十六分、宮城県をはじめ東北太平洋沿岸部を マグニチュード9という歴史上最大級の地震が発生、 数分も経たぬうちに大津波が襲い掛かってきた。 死者行方不明者合わせて、三万人にもなろうとしている。 ブログを書く心にもなれなかった。 発生後十八日が経った。 私の気持ちもようやく落ち着きを取り戻してきた。 相双地区には避難勧告前にいち早くバスを差し向けて希望者を募り 大國神社に避難させて頂いた。 有り難いことに水は心配なく湧き水を得ていた。 プロパンガスも節約すれば二十日間はもつと見た。 節約節約の中、大阪本部のPL教団さんから沢山の飲料水をお届け頂き、 新宗連本部よりは救援物資も届けられた。 出羽三山神社をはじめ多くの方々よりも物資を賜り、 生命をつながせて頂いていることに感謝申し上げるばかりである。 九州本部の善隣教さん、東京本部の立正佼成会さんよりは 過分なる見舞金を拝し奉った。 有り難き慈悲心に手を合わすばかりである。 宗教協力の情、人の情を賜り、身の幸せを噛み締めている。 感謝感謝の日々である。 此度の東日本巨大地震の大災害に遭った私達は、 大和の信仰心を更に強く持ち、深い悲しみと苦しみを乗り越えて、 復興努力して参らねばない。 そして、大神様と御先祖様に心からのご祈念を致したいものである。 如何なることのあろうともや。 平成二十三年三月二十九日 教主 |
2011/03/04
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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人間、感情的な思いが募ると心に大きな壁ができる。 その壁を取り除くは容易ではない。 自らの心を感情は大きく左右する。 人への怨み辛みも然りである。 その怨念を背負って幽界に旅立つとその想いは更に悲惨である。 顕幽の隔てなくその想いは作用し因縁となる。 私も多く人々の因縁解除をなしてきた。 身の気のよだつ恐ろしき“気”の流れもある。 祈祷による因縁解除は、事の善悪と神審(さにわ)する力が 未熟なればせぬことである。 人の善が霊への悪ともなりかねないを悟證せねばない。 今朝も二時起床、潔斎なして神和殿に鎮魂祈念す。 神殿奥の灯明、祝詞座左右の灯明が順に高く美しく昇り立つ、 奇毘なる神象である。 心霊との感交、交流の証左の一現象でもある。 祈りには力がある。神身となる力が働くのである。 ひな祭りの静かな朝、陽の光の中に雪が舞っている。 美しい日本の原風景である。 平成二十三年三月三日 教主 |
2011/03/03
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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3月1日、月始祈願祭参列す。 御神示によりて今朝は神事奉仕はせず統理以下祭員の動き、 参列者の息を観ることにした。 神事執行者側と参列者側の息の交流の有無をつぶさに感体させて頂いた。 二時間に及ぶものであったが、 更なる気の充実を図るべく改めるべき点多くありしことも気付かされた。 私も今後、統理他次なる教師に神事分担をさせてゆかねばない。 来月の新年度を迎えるにあたり早急に検討せねばない。 儀式後、皆で朝食を頂く。 凛とした空気の中での食事はよいものである。 “飲み物、食べ物”は口に入る前は物であるも、 いったん口の中に入れば、自分そのものと変化する。 物でないものに化けるのである。 我が身の生命(いのち)そのものに化けることを悟らねばない。 我が生命体ともなる飲食たるを理解せば、自ずと感謝の念湧き出し、 自らを助くる力となるであろう。 平成二十三年三月二日 教主 |