教主様のお言葉 - taiwa2さんのエントリ |
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2006/10/10
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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人間、執着心が強くなると全く周りが見えなくなってしまうようだ。 周りが見えないということは、自分自身さえも失するということになる。 自分であって自分でない人間。 霊的に云うならば、憑依され生体を失ってしまう現象となる。 人間ではないが、北朝鮮の国柄もそう思えてしまうのだ。 そして今の日本人も、物質万能主義に凝り固まり 『人に迷惑をかけなければ何をしてもよい』から 『自分の欲望達成の為なら何をしてもよい』という風潮に エスカレートしてきているようだ。 国亡の元は、母親の家を守る力の失墜にある。 子供を厳しく躾ける力の欠落にある。 今の若き母親は親とは云い難い親といえる。 日本民族から『恥を覚る』心が失われてしまったら、 それは日本人とは云い難い民族となってしまう。 殊に若き娘達は、人前での化粧、車を運転しながらの化粧は慎むべきである。 己のその姿を観て、失われつつある日本民族としての何かを感じてほしい。 平成十八年十月十日 教主 |
2006/10/07
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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神々がいよいよ修行者を導かれるようだ。 今朝ほどの鎮魂祈念にて青森より一人、 岩手より二人の男性がこの年内に参ずると神示された。 誠に楽しみなことである。 以前に十人程の修行者が来られた時は、半分の五人ほどが奉職された。 大和の教えを世に出すために、新たなる志高き若人が来るようである。 人を育てる楽しみ、そして苦しみは真剣に行じた者でなければ 深く感じることはできないであろう。 苦しみがあるから楽しみを覚る。楽しみの中には真の楽はない。 苦中にあるがゆえに楽中を覚ることができるのである。 真の修行をなし、世人救済の奉仕をしようとする者は、 老若男女問わず本教に足を運んでいただきたい。 信仰者の皆様には、本教の善き神明奉仕を自ら行じて徳積みをしていただきたい。 大神様は諸手あげて迎え入れて、お喜びになることでありましょう。 平成十八年十月六日 教主 |
2006/10/02
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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先日、霊界結婚之儀を執行させていただいた。 霊界結婚とは、此の世で結婚できずに無理心中を図った霊、 戦争や交通事故、病気で若くして生命を落とした霊、 または前世先祖の罪にて縁を妨げられている人の為に行う 霊界における結婚式である。 此の度の霊界結婚は、二十二歳で胃癌の病で亡くなった娘さんの為の ものであり、霊冥大神様にお願いを申し上げ、花婿さんを探して頂いた。 儀式では霊界に入るごとに、参列者を不思議な世界に導き入れるようだ。 此の身此のまましばらくの間、霊界人となる。 参列された方のお話によると、 空中浮遊をしているような感覚になられるようだ。 このように本教の神事・神儀は霊験・霊象が顕著にあらわれる。 何れにしても、霊界を救うことが現界の幸栄えの道なのだ。 多くの方に、本教の神事の善さを覚りえていただくとともに、 乱れた霊界を救っていただきたいものである。 平成十八年十月二日 教主 |
2006/09/28
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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九月二十三日?二十四日に亘り、秋の御行・六根大行が修せられた。 出羽三山の湯殿山と大國神社とで行修するものである。 まずは湯殿山で雪解け水の流れる『含満(かんまん)の滝』での滝行をなし、 翌未明より二時間程の拝神行を湯殿山本宮の石畳の上で行じた。 本年は満天の星空の下にて、大宇大宙の懐に抱かれての 誠に素晴らしき天の恵みを拝しての行となった。 宇宙との一体感を共々が感じ入ったようである。 七時半には大國神社に帰山し、九時より大國広場にて祈願拝神行を 秋風の青空の下で地面にむしろを敷いて行じた。 行者の喜びと爽やかな充実感が行場を満たしていた。 開祖様が『行ほど尊いものはない』と明言されるを実体感したものと思う。 修行は雨降らば雨に、風吹かば風にの心境で、 全てを受け入れることから始まるのである。 本教団三大行の締めくくりとなる、十一月の『十種大行』にも 積極参加を望むものである。 平成十八年九月二十八日 教主 |
2006/09/20
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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『諭せども諭せども行い難しでは如何とも成し難き』という 大神様のお言葉がある。 いくら素晴らしく尊い教えや、神様の智恵を授かっても、 行わなければどうにも道を開くことができないのである。 『大和の大御名で此の世を浄めなせ』という、 本教団開教の折の御言葉を心に刻み、深謝奉仕の神業として自ら実践なし、 信仰者を教化育成しなければならない。 教師・職員一人一人が教団としての教化使命に立ち、 大和の信仰の火を煌々と輝かせていただきたい。 一切万物の弥栄を希う教団として、来年は立教五十周年・開祖誕生百周年の 大きな節目の年を迎える。 信仰組織の確固たる樹立をなさねばならない。 教師、職員、そして役員、世話人の方々の更なる奉仕の火を、 まず自ら一人の人に灯して頂きたいものと願う次第である。 平成十八年九月二十日 教主 |
2006/09/18
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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九月十六日、秋のみたま祭り・万燈慰霊祭を斉行した。 通常は大國広場を祭場とするのであるが、本年は雨模様のため、 祈祷殿の中に祭場を設営して執り行った。 神殿内が一万柱にも及ぶ依代となるカンナガラをはじめ、 神器である梵天・帰神串・浄霊符・献灯明・生花が美しく祀り飾られた。 また、拝所の四方囲は提灯灯明にて飾られ、誠に美しい祭場となった。 初めて参列された方も大勢おられ、神秘な神事を目の当たりに拝し、 一様に驚嘆感動されていたという。 本教の神祭・神事・神業は、大神様から親伝神授される作法がその折々にあり、 私は神ご一伝の全託の精神をつくりあげるべく、 この度は七日間ほどの精進潔斎をさせていただいた。 御霊祭は御霊の心に通い得るか否かである。 執行する人間の満足のみであってはならない。 御霊の満足如何であることを悟ることである。 本年も穏やかなる素晴らしい秋のみたま祭となった。 これも多くの方々の奉仕に支えられての斎行であることを忘れてはならない。 平成十八年九月十八日 教主 |
2006/09/13
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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九月十一日、月例祭と併せて延命長寿の祈願と敬老祝賀会を 開催させて頂いた。 此度の参列者での最高齢は九十歳の方がおられた。 千葉県から元婦人部役員で活躍された方も来られた。 この方は昨年、重い病に倒れたが、大神様の神助によって 奇蹟的に回復されたのである。 若い研修生の者が、大和教団を長年信仰されておられる方のお顔が とても和やかで美しいと話していた。 やはり信仰をしていると外見にもその心が表れるのであろう。 九十歳の人も、八十歳代の人も、本当に清明、清新さを感じる。 美しく老いるということは素晴らしいことである。 大和の信仰を通して、こうして皆様の和顔を拝することができるのは、 誠に有り難きことである。 人間、晩年は出来る限り穏やかで円満な家庭環境が望ましい。 晩年に荒んだ環境になると末路は哀れとなる。 晩年の十年間が穏やかになるか、荒んだ環境になるかは、 今の自分の生き方次第である。 昨日に、新宮様も悠仁様と命名された。重ね重ねの慶事であった。 皆様のご健康とご長寿を願うものである。 平成十八年九月十三日 教主 |
2006/09/07
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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九月六日、紀子様に国民待望の親王様がご誕生された。 私は国民の一人として、早速、館教務支庁玄関に 国旗を掲げてお祝いを申し上げさせて頂いた。 二月にご懐妊の報を拝し奉り、畏れ多くも大神様に 男女の性別を神託させて頂いた。 『男子御子成る』と降された。 近親者には伝えておいたが、正に神示のとおりの結果となり ご慶賀の極みである。 秋篠宮両殿下におかれては、 皇孫の性別を人為的な判定に委ねられることをなさらず、 生命の誕生の尊厳を厳粛にお守りになられた。 生命の神秘的な営みは侵すべからず、と御身をもって お示しになられたと拝するものである。 御皇室家におかれて四十一年目の親王様のご誕生、 正に大神様の神図(はか)りなる奇(く)すしき神の 御業(みわざ)なるを覚(おぼゆ)るばかりである。 千数百年に及ぶ御皇室の霊継ぎの伝統の重さは、 これを安易に変えようとする浅薄な人知の及ぶところではない。 むしろ現代人は、変えてはならないと受け継がれてきた この伝統のなかに脈打っている、わがご先祖達の智恵を 学ばなければならない。聖寿万歳である。 平成十八年九月七日 教主 |
2006/09/05
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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老子の言葉に『天網恢々疎にして漏らさず』という言葉がある。 神は厳正で悪事を働いた者には必ずその報いを与える、という意味である。 人間、信仰当初の心を失い、いつの間にか己の欲に走り出る者がいる。 神の存在を自分の都合で考える。誠に愚かなる行為である。 小さな過ちが積もり積もって咎となり、 更に積もり積もって罪を犯してしまう。 最近、まさにそのような罪を重ねてきた者が神の手の内に落ちた。 人の手の内より神の手の内に降されてしまった者は、 どのような報いが示されるのであろうか。 罪の大きさ如何では、生死に関わるものになるのであろうか。 殊に神に仕えし者なれば、 この大御心を夢々忘れてはならぬ御諭しであろう。 私も含め、教師、役員、職員の皆は心して道を歩まねばならない。 平成十八年九月四日 教主 |
2006/09/03
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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季節は長月に入り、ようやく秋を感じる日も訪れるようになった。 九月一日午前四時半頃に大國神社に着くと、 数名の人が境内地の清掃やら草取りやら奉仕されていた。 その姿がとても美しく朝もやの中にキラキラ輝くばかりであった。 真心籠もる奉仕の姿がそのように感じさせたのであろう。 五時より祈願祭執行、二時間余りに及ぶ各種の神事を奉行させて頂いた。 穏やかなる神気を感じての厳粛なる時を、 祭員・参列者と共有できたことに感謝するものである。 儀式後に大和神典を紐解き教話を申し上げた。 『人の身になり考え事なす』とはよく云われることだが、 人の身になるとはその人のことをよく知らねばならない。 知るためにはよく関わらなければ知ることはできない。 深く関わり、深く理解することができなければ、 人の身になって考えることはでき得ないのである。 それは人に対してだけではなく、神に対しても同様である。 大和の信仰も信解・信行を深く事なさねば道も開き難きである。 平成十八年九月三日 教主 |