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教主様のお言葉 - taiwa2さんのエントリ
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2015/04/10
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
4月9日、戦後70年にあたって、天皇皇后両陛下は、約1万人の日本軍守備隊が

戦死した激戦地、パラオ共和国ペリリュー島をご訪問された。

同島に日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」に供花し、拝礼された。

米軍の慰霊碑にも黙祷を捧げ、全ての戦没者を追悼されたと報道された。

悲惨なる戦争を忘れてはならないとの強いご覚悟を私共に示されたものである。

10年もの間、抱き続けられての此の度の慰霊であった。

船上でのご宿泊を私共、国民はどう考えればよいのであろうか。

ご遺族の方々も万感の想いであったことであろう。

同共和国の皆が親日的感情をもたれているのは

日本軍統治時代にありてのよろしきを観るものである。

本教団も70年の節目に、靖国神社にて慰霊の誠を捧げさせて頂いた。

両陛下の大御心を拝し奉りて、神ながらの道を奉ずる教団として

大道を歩み続けねばと心新たにする日となった。



         平成二十七年四月九日 教主
2015/04/03
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
4月1日より新年度を迎えた。

27年度より29年度までの3年度にて教勢拡充の大き道を固めゆかねばない。

その一つの力とすべく4月29日の大國神社創社40周年記念例大祭であり、

29年10月の立教60周年記念例大祭でもある。

60周年に向かって百萬願百萬本大神業の達成成就をもって、

世界平和・萬民幸福に少しく寄与したいものと希っている。

早朝の神気を拝しながら当神社の巡拝行を為し、心願の達成を祈念、

職員会にて一時間程お話し申し上げた。

午後より総監と上京し、妙智会教団の宮本丈靖会長の通夜に参列をさせて頂いた。

新宗連加盟教団の先生方をはじめ、各宗教界、政界よりも大勢の方が参列された。

安倍総理も焼香に見えられていた。

宗教人として社会・国家に、世界的にも貢献された方であった。

平成20年の天皇陛下御即位20周年の慶賀にて、宮中茶会のお招きの折に

ご一緒させて頂き、私の手を握られて15分程お話し下された。

何れの日にかお話しする機会もあるであろう。

儀式後、お清めの席にて小食を賜り退席、ホテルに戻った。

翌2日は10時よりの本葬・告別式に参列、ご霊前に宮中での宮本丈靖会長の

励ましの言葉を胸に、日本精神の伝導をお誓い申し上げた。

5月14日には教団葬をなされるとのことを伝え聞いた。

法嗣・宮本恵司先生のご挨拶に胸熱くなるを禁じ得なかった。

御冥福をお祈り上げるものである。



         平成二十七年四月二日 教主
2015/03/27
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
フランス南東部のアルプス山中に墜落したドイツの格安航空会社「ジャーマンウイングス」の

エアバスA320機は、アンドレアス・ルビッツ副操縦士が単独で同機を降下させ、

故意に墜落させた可能性が高いとの報道があった。

精神の病をかかえていたこともわかったようだ。

邦人を含め150人の乗員乗客の冥福を祈るばかりである。

御神示の通りに空の事故が多発している。

精神作用の荒びを憂うものである。

3月26日、青空の下、本教職員の横尾匡彦君と中村安里君の結婚式と

披露宴が大國神社で斎行された。

私共が媒酌人となり、統理が儀式を斎行した。

両家親族・参列者の皆は、古式ゆかしい神話の国生みに結ばれる儀式に

感動の声を漏らされていたと聞く。

宴席も立派に整えられ温かい心に包まれての披露ともなった。

新郎新婦の爽やかな姿に乾杯である。

大いなる大神様の祝福を乞い祈むものである。

お芽出度う。



         平成二十七年三月二十六日 教主
2015/03/23
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
3月21日、久しぶりにて参集殿『いちいの間』に参籠した。

翌22日午前2時前に起床、潔斎、鎮魂にて、4時よりの特別神事・福寿開運祈祷を執行した。

2時間半に及ぶ儀式となった。

大床は冷え込みが厳しかった。

90歳を超える人も参行されていた。

信心の篤き力にて50人程の教信奉・職員が成満した。

貧禍神をはじめ、深き禍いを祓除なし、

血統霊統の因念解除の秘神法をもっての祓禊祈願行でもあった。

天地人一切の運気の巡りをもっての日時と神図られしものである。

願主等の一人一人の御名を言上げした。

必ずや御神導・御神助を拝し奉りて大き霊験が立てられしを確信するものであった。

前日、ほとんど眠らずの教師もいたことであろうが、

行は厳しい程有り難いものであることを再認識する此度の祈祷の神業であった。

一千日行、216日、436座の朝である。

今日は11時より開祖様12年の式年祭も斎行される。

統理以下教師に一任するものである。



         平成二十七年三月二十二日 教主
2015/03/22
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
3月21日の新聞にて『地下鉄サリン事件20年・霞ヶ関駅で慰霊式』とあった。

13人が死亡、6千人以上が重軽傷を負ったオウム真理教による地下鉄サリン事件から

20年となった20日、駅員さんが死亡するなど多くの被害者が出た

東京メトロ霞ヶ関駅で慰霊式が開かれ、遺族や駅員らが犠牲者の冥福を祈ったようである。

いまだに身体的後遺症に病む人、精神的に病む多くの人がいるという。

何故に人を傷つけ殺めるのか。

宗教を奉ずる者の一人として、その心裡を理解することはできえない。

魔界からの誘導であろうか。

今世、霊界は荒び病む者が多いという。

それが現界に顕現されるを示されてもいる。

霊界を清めねば現界も浄まらぬ真理がある。

私も一千日の修行にて更なる『厚み広かれ』の祈りを展開せねばない。

今朝の御行にて215日を数えた。

第2階梯15日ではある。

次第に厳しき行を神示されるを覚悟せねばない。

世人の救いの為にもや。



          平成二十七年三月二十一日 教主
2015/03/18
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
3月17日、総監と上京した。仙台駅にて黒住先生とお会いした。

4月29日の大祭での再会を楽しみにしている旨をお伝えした。

新宗連会館にて13時30分より清水雅人先生の講演を聞かせて頂いた。

正に新宗連の歩みの秘話であった。

講演は3時間にも及ぶ話となった。

旬宗連スローガンが変わった経緯も聞いた。

私も「国民皆信仰」が何故に消えたのかと懸念していたがよく理解できた。

元の4大スローガンに是非にも復したいものと存念するものであった。

「宗教協力」という言葉も新宗連が提唱したことも、

WCRPへの道も大きく関わりしことも、脱会教団の裏事情も知るものであった。

新宗連活動への考えは私の意とするところでもあった。

此度にて語り尽せぬものであり、改めてお話をお聞き致したいものである。

今後の新宗連にとり大切なお方の一人であろう。

限りある私共の生命なれど、ご長寿にてのご活躍を願い上げるものである。




         平成二十七年三月十七日 教主
2015/03/17
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
3月12日、13日と特別神事執行のため、神社へ向かうと、大分、木の芽も膨らみを見せていた。

雪降る冬があろうとも、必ず春はやって来る。

天理で天則ある。

15日は統理斎主にて『春のみたままつり』である万霊慰霊大祭が斎行された。

3日前の神託にて私の斎主の変更が示され、これによって、

3月22日の秘神事の祝詞を書き上げることができた。

準備すべくものについてもまとまり安堵した。

翌16日は第3回国連防災世界会議パブリックフォーラム「防災と宗教」シンポジウムが

仙台駅前のAER21階にて開催された。

私も日宗連理事長の立場にて御挨拶させて頂いた。

10年に1度の会議の巡り合わせの中である。

これも有り難いことである。

庭野先生、深田先生とご一緒させて頂いた。

統理は午後2時よりの名取市閖上のでの『祈りの集い』に参列し、教団の祈りを仕えた。

この会議で私は同時通訳を聞きながら、日本語はやはり素晴らしいと再発見することとなった。

国際会議のありようを少し垣間見るものでもあった。

閉会後、急いで帰宅し、教母と共に誓順さんの荷物の引き取りと御礼の為に施設を伺った。

心よりの感謝を申し上げさせて頂いた。

14年余、本当によくして頂いた。

恵まれた苑の生活であったと思われる。

そして、教母さんも毎週通い世話してくれた。

長い間の苦労に報いてあげねばとも心するものである。

憂事、慶事の入り乱れしの3月ではある。

明日はまた上京せねばない。

いささか疲れを感じるは、止む事無きかと。



         平成二十七年三月十六日 教主
2015/03/12
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
3月11日、東日本大震災四周年追悼慰霊祭並びに復興祈願祭が統理斎主の許に斎行された。

天皇陛下のおことばを拝聴し、幻創さんの大國復興祈念太鼓をもって、

力強く儀式を行修させて頂いた。

この日も雪の舞う寒い一日であった。

4年前のことを否が応でも想い出してしまう。

報道ではこの災害を忘れてはならない、風化させてはならないと言っているが、

我が想いはそれとは裏腹にある。

早く忘れて前に進まねばの想いが強くよぎるのである。

犠牲になられた信徒や関係者の無念さを想うと今も涙が溢れてくる。

そして避難生活を余儀なくされておられる方々の苦渋を想えばやである。

4年経た今、信仰基盤の揺らぎがズシリと被いかぶさってきている。

この3年間は夢中で生き抜いてきたが、4年目頃より信徒の心身の疲れを感じざるを得ない。

それでも神に縋り生き抜かねばならない。

頑張ろう東北である。

そして、頑張ろう大和である。



         平成二十七年三月十一日 教主
2015/03/11
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
3月9日午後4時より七北田の葬祭館にて誓順さんの通夜祭を斎行した。

施設の部長さんと本教団の教職員、私共総裁家のごく身内の参列にて執行させて頂いた。

誓順さんの御身内は富山ということもあり、お心を手向けて下された。

儀式は統理外3名にて執行、喪主挨拶にて私が誓順さんとの想い出を少し話させて頂いた。

翌10日午前11時より葬場祭、発棺祭を斎行した。

厳粛なる祭儀であった。

私が棺の前で介護士の方の2通の手紙を読み上げると急に嗚咽となり涙が込み上げるを禁じ得なかった。

誓順さんの心と感応したものであろう。

その後、火葬斎場にて火葬祭をなし、遺骸とお別れを申し上げた。

1時間30分後、遺骨を納め、大國神社祖霊殿にて帰家祭を申し上げ、

御霊璽と御遺骨を納めさせて頂いた。

御遺骨は富山の瑞詮寺道場竣工後に保積家先祖の代々の墓に納めさせて頂く旨、

念じさせて頂いた。

教職員の奉仕、参列に感謝申し上げるものである。



         平成二十七年三月十日 教主
2015/03/09
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
3月7日午後11時半頃に、私の寝床に教母が来て、

誓順さんが危ないとの連絡を受け、統理と3人にて施設に向かった。

院長先生より心電図の動きにより血液を送り出す力はもうありませんと伝えられた。

院長先生は誓順さんの頬を軽く打ちながら『保積さん、保積さん』と語り掛け、

私も妻も『誓順さん、誓順さん』と声を掛けた。

すると、『うーん』と唸ること2声の後、静かに息を引き取った。

平成10年10月に歩くことが満足にできなくなり、

富山の寺のことも身上のことも一切をお任せしたいとの嘆願を受けて、

開祖様の『助けてあげなさい』とのおこころもあり、

お受けしてから16年半の歳月が流れた。

私の家にて一年程の頃に、心肺停止の如くなり、危うく一命を取り止め、

その折に腎臓悪化の診断にて人工透析を余儀なくされた。

よい病院のよい施設に入所ができ、恵まれた環境での15年に程近きを過ごした。

教母には大変ご苦労をかけてきたが、院長先生からは

『大往生でした。86歳の今日までよく頑張ってきました。

尼僧としての修行が支えてきたのでしょう』という言葉を頂いた。

9日に通夜、10日に本葬とさせて頂いた。

保積家先祖を、寺を守られてきた誓順さんに感謝の念をもって手を合わさせて頂いた。

幽冥大神のみちびきを乞い祈むばかりである。



         平成二十七年三月八日 教主

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