教主様のお言葉 - 最新エントリ |
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2024/11/04
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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11月3日、自修行早目とす。 8時神社へ立つ。 奥都城にて斎主奉仕に力をと祈る。 9時半前頃より正参道参進の声明、天地一切清浄大神業の声が大市神山に響き亘る。 私も先導により本殿に入殿、緊張感を高め奉仕す。 体調の案じられる中、無事の奉仕を祈り上げて臨みしなり。 稚児祈願に所役が名簿を身元に置かず為にいらぬ時間をもってしまった。 稚児の表情、今年は泣き出す児も。 私は『もっと泣け、もっと泣け』と。 すると泣くを止めし御神導あり。 幼児は実に可愛ゆいものである。 本当に宝ものであるを実感す。 相談役の渡辺博先生の御挨拶を頂き、私の教話とす。 後、世界平和萬民幸福大火祭祈願祭場へ参進、典儀執行の辞を以って大火壇に点火、御神火をもっての雄壮な大火祭神事ではある。 世界人類が睦まじき世界を造るべくを願い、大神の神威の蒙られるをの熱き祈りを奉行す。 参列者への教話をなし私は退下す。 嗣親外にて散餅、散銭の行事にて弥栄を祈念、直会に入った。 雨の予報を大きく転じ、秋晴れの快晴の恵みを拝し賜りし事に心より拝謝申し上げるものである。 教師、役員皆さんの奉仕を労い手を合わすものである。 令和六年十一月三日 教主 |
2024/11/03
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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11月1日、自修行常の如し。 11時過ぎに畠山君に電話し、昨日の書類の記載漏れを指摘、ミスを修正さす。 数字を大切にするごと諭す。 その後、大祭祝詞等を確認準備す。 午後3時過ぎに田中君、熊川君に大祭本祭での参進法について、これまでの反省点を改めて伝えおく。 天候は2日は強い雨降り、3日は曇りとかではあるが、更に良き天候となるよう祈り上げるばかりである。 夕の謹行を仕え神託、9時過ぎに教務部長より篤信者の体調芳しくないとして特別神事の願い出を申し受けた。 明日は前日祭である。 過ちなきをや。 翌2日、自修行常の如し。 前日祭が嗣親斎主にて斎行、信奉者の皆様の祈願がなされた。 雨模様の天候であったが滞りなく終了したようである。 儀式前に七五三の祈祷もあったとか。 祭儀後、教務部長に来年は火祭供奉員として霊神の参加も考え、霊界からも力を頂くがよしと伝う。 教師等も皆、心したとのこと。 此の世の乱れは霊の世の乱れの教えでもある。 教信奉者の浄められし霊神等の力を拝したいものとの霊示を賜りしなり。 明日は晴れとの予報に転ず。 有り難きことである。 温度は18度とか。 寒くない姿が必要であろう。 私も体、整えねばない。 令和六年十一月二日 教主 |
2024/11/01
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月31日、早目の自修行をなす。 9時半より一日繰り上げての特別講習会を開く。 12時半までの3時間をもって教導す。 教務部長より富山出向の第一回・第二回の内容の報告を、次に、29日神社参籠、 30日因縁解除の特別神事執行に至る経緯、その当人の神事体験の感想をも語られる。 特別神事は一切を救う力、根底より救う力たるを。 教主様の祈祷力の有り難きを。 それは誰でもできるものではない。 教主が50有余年の修行に修行を重ねて培われた神通力であることを切々と教師等に話していた。 報告書には記載されずであったが、『仙台駅に見送りをした時に、何度も何度も後ろを振り返りお辞儀をなされていた』との言葉が私の心に響いていた。 後、大和教化の助勤者の仕事を今日は厳しく諭し命じた。 私の教導を何とも感じていない脳神経の多い人たちである。 それでも教団を護持している不思議さがある。 私の云うべきことを少しく実行すれば最も易く大きく道の開くものをと。 教師等の頑迷さともうしばらくは闘いとなるものかと。 教師等の心根を変えずば大神に申し訳が立たずである。 テレビで大谷ドジャースがワールドシリーズ制覇とか。 この一年の様々な出来事にやればできるの姿を観るものである。 多くの感動を災難に動じず道を歩み続けるは多くの人の生きる手本であろうことを。 令和六年十月三十一日 教主 |
2024/10/31
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月30日、自修行早目とす。 富山の方の神事簿を最終確認、更に数ヶ所修正す。 9時頃に山へ出立す。 奥都城を拝し本殿へ。 教務部長と富山の方も参り、ご挨拶をす。 ご本殿にてお会いすることもご神導であろうことを。 参拝後、境内を巡られたようである。 雨落つることもなく守られしなり。 祭壇を検分、祈祷太鼓の位置を整う。 10時前より特別室にてこれよりの神事内容、式次第をお話しす。 会社経営をなされている方にて、理解度の高さを知る。 私も話が楽であった。 後、神事執行に入る。 1時間半程の時間であったが、厳儀となる。 教務部長が昼食を共にし仙台駅へ送ることになっている。 私は本田君に祝詞奉製のこと指示す。 帰宅途中、ふと気が緩みて路肩に車をぶつけ前輪がパンク、そのまま15分程走りて家にようやく着く。 危ういところであった。 私の運転もこれまでとは違うを思い知るものであった。 大祭を控え大事に至らず守られしに手を合わすばかりであった。 本当に助けられしであった。 令和六年十月三十日 教主 |
2024/10/30
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月28日、自修行常の如し。 右手首の出血はほとんどなくなっている。 明朝までは止血なるかと。 御神助あれ。 今朝も腰の安定を感ず。 昼過ぎに教務部長より特別神事の取次を受く。 この後、遠藤教師よりも取次あり。 大き救いの道を授かる。 11月3日の大祭後の執行とはなる。 夕刻、熊川君より連絡あり、参集殿西側の軒下あたりの外壁がはがれそうとのことで山田工務店さんに見てもらったと。 今度本格的に検分するとか。 私の大祭の装束、10月30日、11月9日の儀式の件にて祭員2員をまだ検討せずであった。 彼の性格でもあろうかと。 私の教えが心に刻まれずは何故なのかと心重くなる。 これより夕の謹行に入る。 20時過ぎに教務部長より電話が入り打合せをする。 よき道の開きとするをやではある。 翌29日、自修行常の如し。 朝陽を拝す。 実に清々しき朝とはなん。 朝拝後に明日の霊璽簿、祈願簿を奉読す。 追補、修正点を気づきて事為す。 言上げしている最中に交霊ありて感情が熱くなる。 更に祝詞2葉を奏すと涙が溢れくる状となん。 もう御霊等は明日を待たれているを感応すものである。 今回で何回書き直しをしたであろうかと。 心をかけ、時間をかけ、体をかけるが、誠心誠意の真心へと変化すものを改めて感ずものとなった。 富山より今夕、7時半仙台駅着という。 担当教師の教務部長と教化部次長が迎えにゆくことになっている。 神社にて食事のおもてなしをすべく、鏡君が心づくしの料理を調理するとのこと。 ゆっくりとご神湯に浸かり体を休めて頂きたいものである。 我が大和神事、神業の神秘に驚嘆するであろうものと。 令和六年十月二十九日 教主 |
2024/10/28
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月27日、自修行常の如し。 今朝も庭踏みなす。 9時に朝食を頂き、事務遂行す。 富山の2人の方の霊璽簿、祈願簿を書き直す。 これで4回目となるかと。 手間をかけ時間をかけ、心をかけ、何度も気づきのままに書き直す行為を繰り返してゆく内に、 神・霊との交霊となり御神意を、御霊の想いを慮るのである。 それ故に我れの供養は本儀前に80%は終っていることを私は神事受者の方に話をさせて頂いている。 今回、関わりし教務部長も大分私の仕事の有り様を理解したものと思うのだが。 もう17時となる。 これから夕の勤行に入らねばない。 山では大祭を前にしての清掃奉仕、大幟旗の掲旗奉仕がある。 先程の電話にて無事に奉仕が終了したという。 有り難いことである。 また、身延山参拝に今朝一泊二日の行程で出発した。 道中の安全を、特別の神事の皆を大前にお取次申した。 お天気にも恵まれ奉仕のできたことに重ねて感謝申し上げるものである。 令和六年十月二十七日 教主 |
2024/10/27
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月25日、自修行常の如し。 体の養生なし、朝食を頂く。 後、10月30日、11月7日の特別神事をまとめ清書す。 教務部長に送信、確認をと願う。 午後2時を回る。 須田公子教師より北川さんの弟さんも身罷りて連絡が取れなかったとのことで、 弟さんの息子さんより電話を頂いたとのこと。 来月に北川さんと弟さんの御霊前をお参りさせて頂くを願うべしと指示す。 富山先祖での唯一の縁者ではある。 夕刻より謹行、書斎、祈り間にてのお仕えは常なるごとなり。 今日は嗣親と歩君が出羽三山神社での神鈴会に出席とのことで出向、 歩君の実家にて姉家族と共に食事をし泊まるとか。 我が家は教母と愛偉奈の2人なりである。 翌26日、自修行常の如し。 神和殿拝神前に庭に出でて久方ぶりに四方拝、気吹拝、太陽拝、お庭踏をする。 芝生の朝露が実に気持ちよい。 腰が安定しているを憶ゆ。 10月以来の右手首上の出血は2ヶ所よりまだ少しあり。 明日は止まるを期待す。 足のむくみも治まってきた。 体の痒みはまだ厳しいところありだが、体調は大分整ってきた感あり。 朝食後、富山の方、2名分の霊爾簿を改めて追稿、書き直しをす。 少しでもよき神事と為すをの考えにて思念思考す。 ご神意を拝し、何度でも書き直すことを私は心がけている。 お蔭で大分身についてきたようだ。 14時まで4時間を要した。 ワールドシリーズ第1戦は9回裏、満塁逆転ホームランでドジャースが勝利した。 厳しくも感動の第1戦となった。 夕刻よりのお勤め他、いつもの如く執行す。 嗣親も出羽三山神鈴会にて18名の方々と楽しく懇談をしてきたようだ。 何よりである。 令和六年十月二十六日 教主 |
2024/10/25
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月23日、自修行常の如し。 11月号の教報原稿を草稿す。 午後1時頃、教務部長より水谷さんが来られて、明日娘さんを是非連れてきたいという。 今夜、東京より戻るとも。 妊りておるが大丈夫なのかと少々案じるところなり。 29日、母親と共に神社への気持ちがあるようだが、無理は禁物とした。 その他有り難きことありて、大神様のみちびきと拝謝せん。 田中君に明日7時に床屋への随行を願った。 30日の祈祷、11月3日の大祭本祭に備え、サッパリとしたいものと。 足器をかけて足の運動をはかる。 後、久しぶりに習字の稽古をする。 資料不用紙の裏に100枚程書いたかと。 毎日稽古せねばと思うのだが、中々続かずである。 教歌起しにても同なり。 16時半より潔斎、鎮魂に入る。 書斎にて資料検分、祈り間にて拝謝す。 翌24日、自修行早くなす。 7時に田中君随行にて数ヶ月ぶりにて床屋さんへ。 アロエ入りのシャンプーが良いと勧められ田中君にも求めやる。 10時前に帰宅す。 教務部長にも出がけに電話なして、懸案事案に対して指導す。 事務をなし少し休む。 夕刻より潔斎、鎮魂、資料検分、感謝拝にて一日終る。 教務部長等3人が帰山、午後9時頃に来館す。 信者さんからのおみやげ等を持参す。 有り難きことである。 第2回目の富山出向も稔りあるものとなった。 奇毘なる事象もあり助けられしことともなん。 感謝すばかりである。 3人の教師の皆をも労いしなり。 令和六年十月二十四日 教主 |
2024/10/23
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月21日、自修行常の如し。 田中君随行にて所用にて出かける。 道中、教化実践の方図を説く。 私の指導を速やかに伝うべく指示せよと命ず。 午前2時頃に帰宅、事務遂行。 夕刻、教務部長より今日一日の教化内容の報告あり。 前回の方、3人と応談すと、2人の方が更にの相談を吐露されたという。 教務部長への信頼が高まってきた証左であろうと。 2人の方も特別神事に導かれるものと信念すものである。 後、夕べの謹行に入る。 左灯明が高く美しく立ち昇り続ける。 3日間連続で3灯明の神象を拝観すものとなった。 有り難きことである。 我が心願諸願の達成成就を重ねて乞い祈むものである。 後、書斎にて資料検分、FAX指導す。 祈り間にて今日一日を拝謝す。 もう21時半となる。 翌22日、自修行常の如し。 今日は午前中、英君、田中君、総長よりの電話報告を受け、夫々に指導す。 その他は外電もなく静かな一日となる。 富山は今日もお2人の方が見えて相談を受けしとの日報あり。 回を重ねるごと教務部長の信頼度が増し、秘していた胸中を話せる安心感をもたれているは何よりである。 霊査神託を受ける方2人の相談書は明日にも送信となるようだ。 私も明日は、11月9日執行の富山の方の霊爾簿、祈願詞をまとめ、教報11月号の原稿も記めねばない。 それなりに時間を要することとなん。 夕刻の潔斎、鎮魂に入る。 令和六年十月二十二日 教主 |
2024/10/21
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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10月20日、自修行常の如し。 9時過ぎに瑞詮寺出向の教務部長より8時半の約束にて来られた方との 特別因縁解除神事に結ばれたとのこと。 11月9日10時半との予定となった。 ご神託の如き即断即決となった。 特別神事の申し込みはこれで2人目となる。 大神様、瑞詮寺尼僧の皆様の御蔭と拝謝すものである。 教務部長の日頃の教導力をみるものでもある。 教母さんに手伝ってもらい執務座、神和殿の冬仕度す。 敷物後は祈り間を仕度することになる。 これで寒さ対策も済んだ。 修祓秘要の資料を手に取り通読す。 実に高学びなるを改めて知るものである。 上皇后様が90歳、卒寿をお迎えになられた。 国民の一人として心よりお祝いと、これよりも私共国民の為にお健やかであられますことを お祈り申し上げるものである。 令和六年十月二十日 教主 |