教主様のお言葉 - 最新エントリ |
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2006/10/19
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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今朝方も不快極まる若い娘の姿を見た。 歩きながら煙草を吸う様、車を運転しながら化粧をし、 青信号に変わっても気づかずにいる様、バス亭で女子高生が 股を開いて地面に座り込み、コンビニではこの姿でたむろする。 誠に異様な光景である。 話には聞いていたが、一日に何度となく目にしてしまう。 今はマニュキュアをしてくる小学生もいるという。 馬鹿な母親がそのようなことを教えているのであろう。 学校の先生も、そのことを母親に注意すると、 『人に迷惑をかけているのか』との答えに、何の返答もできないという。 体罰を与えれば、すぐに親は教育委員会に訴えるともいう。 教育現場も家庭現場も異常事態である。 人間としての心根を正さなければいけない。 そして、少年少女等の早熟化の社会をも同時に正していかなければいけないであろう。 平成十八年十月十九日 教主 |
2006/10/16
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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この十月十三日・十四日と出雲大社を参拝させて頂いた。 此度は十月八日に一歳の誕生日を迎えた孫をはじめ、一家全員十人での参加となった。 このようなことは我が家においては初めてのことであり、 一家揃って事を成すことの大切さを改めて身をもって覚らされた。 出雲大社では大國講名誉総裁であられる千家管長様は公用出張にてご挨拶は叶わなかったが、 千家隆比古権宮司・千家和比古権宮司様とは親しくお話しをさせて戴いた。 誠にお忙しい中、有り難いことであった。 御本殿の大屋根修繕工事が来年より始められるとのことで、 数年間は御本殿を仰ぎ見ることはできないようである。 翌日は、四時過ぎより祈願・浄霊拝を執行し、大社を想い思いに参拝、 私も一人でゆっくりと参拝させて頂いた。 その後、神戸へ移動し、長田・湊川・生田神社の参拝、北野異人館を巡り、 無事帰路についた。 たった二日の強行軍であったが、天候にも恵まれての素晴らしい参拝の旅であった。 平成十八年十月十五日 教主 |
2006/10/14
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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十月二十日から二十二日の三日間にて『御魂結之神儀』という特殊神事を斎行する。 親神様と称え奉る天之御中主大神・高皇産霊大神・神皇産霊大神・国常主大神・ 天照大御神・大國主大神・少彦名大神・事代主大神の八柱の大神、 そして大和御祖之命様との魂乃緒の結びを行う奇毘なる儀式である。 千古のやすらぎともいうべき世界が醸されることでしょう。 大國神社は神儀執行の間、閉門されて御本殿が斎場となる。 御本殿は神伝された斎場に舗設され、口外不問の神域となる。 尚、『御魂結びの証』として、御魂石(守袋桐箱入)と魂乃緒輪が授与される。 本人の参加が叶わぬ場合には代参でも叶うとされている。 多くの方に、神魂と吾魂の結魂の儀式を感体して頂きたいものである。 今後の人生に必ずや幸栄えの道となるので、家族皆で結ばれ、 幸せに導かれて頂きたい。 平成十八年十月十四日 教主 |
2006/10/10
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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人間、執着心が強くなると全く周りが見えなくなってしまうようだ。 周りが見えないということは、自分自身さえも失するということになる。 自分であって自分でない人間。 霊的に云うならば、憑依され生体を失ってしまう現象となる。 人間ではないが、北朝鮮の国柄もそう思えてしまうのだ。 そして今の日本人も、物質万能主義に凝り固まり 『人に迷惑をかけなければ何をしてもよい』から 『自分の欲望達成の為なら何をしてもよい』という風潮に エスカレートしてきているようだ。 国亡の元は、母親の家を守る力の失墜にある。 子供を厳しく躾ける力の欠落にある。 今の若き母親は親とは云い難い親といえる。 日本民族から『恥を覚る』心が失われてしまったら、 それは日本人とは云い難い民族となってしまう。 殊に若き娘達は、人前での化粧、車を運転しながらの化粧は慎むべきである。 己のその姿を観て、失われつつある日本民族としての何かを感じてほしい。 平成十八年十月十日 教主 |
2006/10/07
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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神々がいよいよ修行者を導かれるようだ。 今朝ほどの鎮魂祈念にて青森より一人、 岩手より二人の男性がこの年内に参ずると神示された。 誠に楽しみなことである。 以前に十人程の修行者が来られた時は、半分の五人ほどが奉職された。 大和の教えを世に出すために、新たなる志高き若人が来るようである。 人を育てる楽しみ、そして苦しみは真剣に行じた者でなければ 深く感じることはできないであろう。 苦しみがあるから楽しみを覚る。楽しみの中には真の楽はない。 苦中にあるがゆえに楽中を覚ることができるのである。 真の修行をなし、世人救済の奉仕をしようとする者は、 老若男女問わず本教に足を運んでいただきたい。 信仰者の皆様には、本教の善き神明奉仕を自ら行じて徳積みをしていただきたい。 大神様は諸手あげて迎え入れて、お喜びになることでありましょう。 平成十八年十月六日 教主 |
2006/10/02
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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先日、霊界結婚之儀を執行させていただいた。 霊界結婚とは、此の世で結婚できずに無理心中を図った霊、 戦争や交通事故、病気で若くして生命を落とした霊、 または前世先祖の罪にて縁を妨げられている人の為に行う 霊界における結婚式である。 此の度の霊界結婚は、二十二歳で胃癌の病で亡くなった娘さんの為の ものであり、霊冥大神様にお願いを申し上げ、花婿さんを探して頂いた。 儀式では霊界に入るごとに、参列者を不思議な世界に導き入れるようだ。 此の身此のまましばらくの間、霊界人となる。 参列された方のお話によると、 空中浮遊をしているような感覚になられるようだ。 このように本教の神事・神儀は霊験・霊象が顕著にあらわれる。 何れにしても、霊界を救うことが現界の幸栄えの道なのだ。 多くの方に、本教の神事の善さを覚りえていただくとともに、 乱れた霊界を救っていただきたいものである。 平成十八年十月二日 教主 |
2006/09/28
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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九月二十三日?二十四日に亘り、秋の御行・六根大行が修せられた。 出羽三山の湯殿山と大國神社とで行修するものである。 まずは湯殿山で雪解け水の流れる『含満(かんまん)の滝』での滝行をなし、 翌未明より二時間程の拝神行を湯殿山本宮の石畳の上で行じた。 本年は満天の星空の下にて、大宇大宙の懐に抱かれての 誠に素晴らしき天の恵みを拝しての行となった。 宇宙との一体感を共々が感じ入ったようである。 七時半には大國神社に帰山し、九時より大國広場にて祈願拝神行を 秋風の青空の下で地面にむしろを敷いて行じた。 行者の喜びと爽やかな充実感が行場を満たしていた。 開祖様が『行ほど尊いものはない』と明言されるを実体感したものと思う。 修行は雨降らば雨に、風吹かば風にの心境で、 全てを受け入れることから始まるのである。 本教団三大行の締めくくりとなる、十一月の『十種大行』にも 積極参加を望むものである。 平成十八年九月二十八日 教主 |
2006/09/20
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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『諭せども諭せども行い難しでは如何とも成し難き』という 大神様のお言葉がある。 いくら素晴らしく尊い教えや、神様の智恵を授かっても、 行わなければどうにも道を開くことができないのである。 『大和の大御名で此の世を浄めなせ』という、 本教団開教の折の御言葉を心に刻み、深謝奉仕の神業として自ら実践なし、 信仰者を教化育成しなければならない。 教師・職員一人一人が教団としての教化使命に立ち、 大和の信仰の火を煌々と輝かせていただきたい。 一切万物の弥栄を希う教団として、来年は立教五十周年・開祖誕生百周年の 大きな節目の年を迎える。 信仰組織の確固たる樹立をなさねばならない。 教師、職員、そして役員、世話人の方々の更なる奉仕の火を、 まず自ら一人の人に灯して頂きたいものと願う次第である。 平成十八年九月二十日 教主 |
2006/09/18
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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九月十六日、秋のみたま祭り・万燈慰霊祭を斉行した。 通常は大國広場を祭場とするのであるが、本年は雨模様のため、 祈祷殿の中に祭場を設営して執り行った。 神殿内が一万柱にも及ぶ依代となるカンナガラをはじめ、 神器である梵天・帰神串・浄霊符・献灯明・生花が美しく祀り飾られた。 また、拝所の四方囲は提灯灯明にて飾られ、誠に美しい祭場となった。 初めて参列された方も大勢おられ、神秘な神事を目の当たりに拝し、 一様に驚嘆感動されていたという。 本教の神祭・神事・神業は、大神様から親伝神授される作法がその折々にあり、 私は神ご一伝の全託の精神をつくりあげるべく、 この度は七日間ほどの精進潔斎をさせていただいた。 御霊祭は御霊の心に通い得るか否かである。 執行する人間の満足のみであってはならない。 御霊の満足如何であることを悟ることである。 本年も穏やかなる素晴らしい秋のみたま祭となった。 これも多くの方々の奉仕に支えられての斎行であることを忘れてはならない。 平成十八年九月十八日 教主 |
2006/09/13
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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九月十一日、月例祭と併せて延命長寿の祈願と敬老祝賀会を 開催させて頂いた。 此度の参列者での最高齢は九十歳の方がおられた。 千葉県から元婦人部役員で活躍された方も来られた。 この方は昨年、重い病に倒れたが、大神様の神助によって 奇蹟的に回復されたのである。 若い研修生の者が、大和教団を長年信仰されておられる方のお顔が とても和やかで美しいと話していた。 やはり信仰をしていると外見にもその心が表れるのであろう。 九十歳の人も、八十歳代の人も、本当に清明、清新さを感じる。 美しく老いるということは素晴らしいことである。 大和の信仰を通して、こうして皆様の和顔を拝することができるのは、 誠に有り難きことである。 人間、晩年は出来る限り穏やかで円満な家庭環境が望ましい。 晩年に荒んだ環境になると末路は哀れとなる。 晩年の十年間が穏やかになるか、荒んだ環境になるかは、 今の自分の生き方次第である。 昨日に、新宮様も悠仁様と命名された。重ね重ねの慶事であった。 皆様のご健康とご長寿を願うものである。 平成十八年九月十三日 教主 |