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教主様のお言葉 - 最新エントリ
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2011/04/30
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
四月二十九日、理事会並びに総合役員会が開催された。

理事十一人の内、信任五人となった。

理事も若返り、熱気が漂ってきたようだ。

二時間の内容の濃い理事会になった。感謝である。

引き続き総合役員会が開催され、こちらは六十人余が出席し、

二時間半に及ぶものであった。

今回は政界の顧問・相談役の先生方もお呼びし、九人の方が出席された。

此度の大震災に対しての行動で、私共の知り得ぬ情報をたくさん頂いた。

何れにしても一日も早い復興・復旧・救援がなされなくてはならない。

この厳しい世情にあって、大和宗教はどのような姿で善導救済ができるのか。

真剣にその方向性が討議された。

その上に立って、支部組織の構築、大和の庭の普及活動を展開することとなった。

このような時だからこそ、生きた宗教活動をしなくてはならない。

物心両面の安心を図るために大和の信仰を更に深く悟證して頂きたいものである。



         平成二十三年四月二十九日  教主
2011/04/21
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
四月十九日、新宗連理事会に出席するため、

車にて東京の妙智会教団さんに向かった。

道中、薄気味悪い天候の流れがあったが、東京は陽射しが出ていた。

到着後、まずは参拝を申し上げ、此度の震災にて

殊のほかのおこころを賜りし諸先生方にあらためて感謝を申し上げた。

優しく温かい気に包まれる想いであった。

会議前にも御礼のご挨拶をさせて頂ける場を賜り、重ねて感謝を申し上げ、

震災の状況を少しお話しさせて頂いた。

新宗連の諸先生は心温かき人ばかりである。

宗派を超えてのこの会が日本宗教だけでなく、

世界宗教をも融合融和させてゆく力となるであろう。

我が教団も此度の御恩に報えるためにも、

会運営のよろしきに努めなければならない。

帰路も天候不順にて、仙台に入ると曇っていた。

明日は理事の一人の葬儀もある。辛きことである。



        平成二十三年四月二十日  教主
2011/04/17
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
四月十五日、大和拝三法の映像鑑賞と修正の打ち合わせために神社へ上った。

整備事業の一つである神庫の大屋根が葺き上がっていた。

青緑の百坪余ある大屋根である。実に美しい。

しばし見とれるばかりであった。

地震の災いは何一つ受けずに竣工させて頂いた。

御神助に感謝するばかりである。

震災被害の中に一つの光明を観る想いであった。

打ち合わせ後、山野草公園に入る。

可憐な花弁をつけたカタクリ草が美しく咲き乱れている。

そんな中に白い花弁をつけたカタクリ草を見る。

今年も咲いて頂いたかと感慨深いものがあった。

イワウチワはピンクと白の花をつけていた。二種あるのは珍しいという。

一時間程散策をして、心地よい汗を流した。

余震のある中のひとときのくつろぎであった。

地震の時は山が大揺れに動いていたという。

そんな中でもその季節が来れば植物は一生懸命に生きて花を咲かせる。

その強さを学び、復旧・復興に励まなくてはならないと心するものであった。



         平成二十三年四月十六日  教主
2011/04/16
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
四月十四日に十五歳未満で初めて法的に脳死と判定された少女から提供された

臓器の移植手術が全国五病院で行われ終了した。

東北大学病院でも肺を女性に移植したと報道された。

我が教団の教えから云えば背反行為となる。

自然生命体の一部である人間だけが、科学進歩の力にて他人の臓器を移植してまで

己の生命を保持することは自然生命体の摂理に叶うものであろうか。

自らの力で食べることもできず、まして呼吸することもできない身を、

過ぎる力にて保持することは如何なものかと考えざるを得ない。

生命の営みは厳しきものでもある。

人間だけが許されるべきとの考えは慎まなければならないと私は思考する。

小なるものの調和は破壊への道となる。

大なる宇宙、自然の営みの大調和こそ永遠の栄えの基である。

科学技術、医学技術の進歩も大調和をもって究学してほしいものである。



         平成二十三年四月十五日  教主
2011/04/15
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
四月十四日、気仙沼市魚町に住む信者さんの母親の三十日祭と併せて、

霊魂安定の祈りを捧げさせて頂いた。

この母親は気仙沼の布教当初よりの篤い信仰者で、

ご夫婦共に教師として多くの方々を導かれた人でもある。

九十八歳の天寿を、先月の十六日に全うした。

魚町は気仙沼港に程近い商店街の一角であり、

十一日の巨大地震による津波に襲われて

家族が九死に一生を得た人たちである。

母親が

「不自由な我が身に構わずに逃げなさい。私はもう十分生きたから」

と息子夫婦を逃がしたという。

我が身を捨てる覚悟でご夫婦を救われたその気丈なる精神に

私は大和の教師たる姿を観る思いがした。

翌朝早くに息子夫婦が母親の元へ駆けつけた時、

しっかりと目を開けられて応えてくれたという。

役所や自衛隊の方に救護され、奥さんの身内の家に数日間穏やかに過ごされ、

十六日の朝に静かに手を合わせられ

「有り難うございました」と祈るが如き姿で身罷れたという。

大災害にも気落ちせず、誠に穏やかな死に様であったそうだ。

大和の教師かくありなんであった。

必ずや開祖様の元にて、共に護り神となられるであろうことを

祈り上げるものである。


         平成二十三年四月十四日  教主
2011/04/14
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
四月十三日、大崎市の小牛田支教会を見舞いに行った。

小牛田地区は津波の被害こそないものの、屋根が傾き、

地面も亀裂や凹凸がかなりのものであった。

小牛田支教会もかなりの被害を蒙っていた。

それでも「頑張って建物は子供たちの力を借りて建て替えます」

と力強い言葉を頂いた。

本部も一日も早く復旧をしなくてはならないと勇気をもらった。

その帰路、松島経由で名取〜岩沼〜亘理〜山元町まで巡行した。

海辺の近い所までは行くことはできなかったが、

その傷跡は至る所で見られた。

強い余震がここまで続くと、我が身も胸苦しくなるを禁じ得ない。

こんな経験は初めてである。

意識をしなくても、次第にストレスがたまってくるようである。

余震に対する微妙な体の反応であろう。

それでも被災者の皆は頑張っている。生き抜かなくてはならない。

多くの犠牲者の生命の為にもである。



         平成二十三年四月十三日  教主
2011/04/09
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
四月七日、午後十一時半頃に震度六強の大地震が再び東北を襲った。

私は布団に端座して手を合わせて祈った。

翌朝早くに本庁神光殿、神社の被害状況の報告が入った。

私も早めに本庁神光殿へ向かった。

本庁内部はかなり散乱しており、私も特別会議室の清掃整理をした。

その後、保積家に関わる三か所の墓所を確認に廻った。

各所で倒壊している墓が数多く見られた。

墓石に芯棒が入り固定されていない置石型の墓石のほとんどが倒壊していた。

保積家の墓石はすべて無事であった。

いろいろと見て回り、墓の建立に対しても研究させて頂いた。

殊に合祀墓に関しては参考になるところが多かった。

此度の大地震で復旧がまた遅れることになった。本当に大変である。

教団も負けてはいられない。皆と共に立ち上がらなくてはならない。

多くの善意の人々の為にも、身罷りし人々の為にもである。


平成二十三年四月八日  教主
2011/04/05
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
四月四日、第二回目の鎮魂巡行に出た。

気仙沼教会を検分なし、大船渡教会から綾里へと向かった。

気仙沼教会は鹿折地区に在り、津波と火災にて黒土と化した街である。

周りは火の海、火の津波であったと地元の人たちは云う。

恐ろしい地獄絵図であったそうだ。

そんな中、教会は御神護にて凛として健在するは、正に神威開顕の社としか

云いようがない感動を拝し奉るものであった。

一階は津波にてかなり乱されていたが、神座は誠に美しきものであった。

その奇毘さに仰天するものである。如何に神々が護らんとされたか。

その大御心を知るばかりであった。

地元で建設業をされている信者さんと本部よりの清掃団が到着し、

一階のドロを流し、出来得る限りの清掃をさせて頂いた。

地元の信者さんの手配りには心より感謝するものであった。

大船渡教会も気仙沼教会と同様に無事であった。

綾里も広洋館、村上別当さん、立石明神社ともに無事であった。

部落の方々も一人も災害なしとの朗報に安堵した。

沿岸部では開祖様の記念碑の一つが海にさらわれ、

修行地の岬が大津波の被害にあわれた。

大倒木の松の木も一切合切さらわれており、

今回の津波の厳しい様を物語るものであった。

余りにも厳しい天変地異の事象に、手を合わせ祈るばかりであった。

されど、必ず我が民族は立ち上がり、必ず復興することを心に期すものである。

身罷りし方々のご冥福を祈り、

被災者の皆さまに対して心よりのお見舞いを申すばかりである。



        平成二十三年四月四日  教主
2011/04/02
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
四月一日、月始祈願祭の後に被災地へのお見舞いと鎮魂巡行に出た。

仙台平野岡田地区より菖蒲田浜〜七ヶ浜〜塩釜〜松島〜石巻〜女川地区と巡った。

どこもかしこもこれまでの美しい風景は消えていた。

誠に無惨極まりない現場である。

どれだけ多くの人が、どれほどの想いをもって身罷りし事であろうか。

そして、電気、水道、ガスもない生活、布団に休める場所もない多くの

避難者の方々の想いはいかほどであろうか。心が痛むばかりである。

そしてこのような中でも生き延びた人のあることに光を見るものであった。

我が教団関係者の生死の報を知る度に一喜一憂する。

田畑は塩害で駄目であろう。海も荒れ、当分はやはり駄目であろう。

農業、漁業、各種産業もしばらくは厳しいであろう。

生活の先行きも見えない。

日が経つごとに現実の不安が押し寄せてくるであろう。

こういう時だからこそ、大和は生きた宗教をしなくてはならない。



         平成二十三年四月一日  教主

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