教主様のお言葉 - 最新エントリ |
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最新エントリ
2011/10/16
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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十月十四日、十五日と御魂結之神儀が大國神社御本殿を結界して斎行している。 十四日の二座は早朝、早晩とも美しい星月の下での執行となったが、 十五日早朝は強い雨が降った後の執行となった。 儀式後の教話の最中、一陣の突風が吹き込み、青白幕があおられた。 これまでの三座の儀式においても、様々なことが生じ起きる。 我が身我が身に非ずともなり奇毘現象が顕現される。 震災被災地よりも多くの方が参加下された。 今は雨模様の曇天ではあるが、四座は雨落ちることなく斎儀執行ができそうである。 全ては神々の計らいとして粛々と執行するばかりである。 心静かに儀式に臨むべく潔斎、慎戒である。 永遠に不壊の心の宮柱 太敷き立てて神と生きなん (とことわにふえのこころのみやばしら ふとしきたててかみといきなん) 千早振る神の御末の我なれば 身心永遠に神のまにまに (ちはやふるかみのみすえのわれなれば みこころとわにかみのまにまに) 平成二十三年十月十五日 教主 |
2011/10/12
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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十月十一日、左灯明が鎮魂祈念時にスーッと高く美しく立ち昇る。 灯明の立ち昇る時は必ず良い事と巡り合わせがある。 今日も吉日となるであろうと心嬉しく神光殿へ出向した。 神光殿にて十一月の月例祭に教師等が元気に駆けつけてくる。 多少案じていた教師も深い淵から少し上ってきたようだ。 自らの力で自らの心を立て直す力をもってほしいものだ。 開祖様よりの信者さんが震災復旧工事に使って下さいとして百万円持参下された。 本当に有り難いことである。 ご自分等もいろいろと物入りと思われる最中にである。 有り難くお預かりさせて頂いた。 月例祭において正教師権訓導職階位四人、 準教師一人の階位授与式と新任の責任役員の任命式を執行した。 夫々が今後の布教活動に邁進、努力精進されることを望みたい。 今日もまた幸栄えの有り難き日を送らせて頂いた。 平成二十三年十月十一日 教主 |
2011/10/11
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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十月九日、阿部ひで子教師の本葬に参列した。 教団関係者も多くの人が参列、感謝の心を手向けた。 私も御霊前に弔辞の奉読をもって、ご生前の本教団への功績を称え偲び 感謝の誠を捧げさせて頂いた。 法要には私の代理として嗣親と総監を出席させた。 私も参席を予定していたが、遠方より家人の命乞いの祈願の願い出があり欠礼となった。 阿部家の方々と嗣親は親しく話をし、その功績をつぶさに伝えたという。 何れの家においても親の仕事の様は余り知られてはいない。 当人自ら語ることはほとんどないことであるが、 この家族の仕組みを私はどうしても変えなくてはならないと思っている。 父親のことを母親が称え語る。 母親のことを父親が称え語る。 祖父母についても同じである。 当人では語れないものを家人が語り合わなくてはならない。 両親へ祖父母への感謝と敬愛の念を子供等に孫等に語り継がなければ 消えていくばかりである。 名を遺していかなくてはならない。 死んだら終わりではないのである。 平成二十三年十月十日 教主 |
2011/10/09
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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十月七日、遠藤恭子さんの準教師資格権利講習会を終えた。 厳しい人生の中で両親より大和の信仰の火を灯し、今、 その火を大きくかざして世の人を善導救済せんとの奉謝行に精進されている。 今後の布教活動に大いなる神の祝福があることをお祈りする。 その祝福をもって自らの人生にも光明をと乞い願うものである。 阿部ひで子先生へのお別れの言葉を日々の鎮魂祈念行の後に書かせて頂く。 いろいろなことが想い出され熱き涙が落ちる。 私を陰に陽にいつも支えて下された一人である。 教主としての想いのたけをもって感謝の心を捧げたい。 午後三時過ぎ頃に、あるご夫婦が見えられた。 御主人が肝臓全摘出との診断による手術であったが、 三分の一の摘出で済んだそうであり、その御礼に見えられたのである。 『教主様の一ヶ月間の特別祈祷によって大きな力を頂きました。 医師の先生方も不思議だと云っておられました』と話された。 祈蹟が奇蹟を生んでくれた御神助に感謝するばかりである。 平成二十三年十月八日 教主 |
2011/10/08
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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十月六日の昼過ぎに花渕浜教会長として長年奉仕されてきた阿部ひで子先生が、 五日の午後3時25分に帰幽したという訃報を知らされ愕然とした。 81歳であった。 数年前に病を克服され、此度の大震災では奇毘なる大神の御神導御神助により 生命を守られた人である。 五月の頃、家が津波で被害を蒙り、同町の高台の娘さん宅に身を寄せておられた。 お伺いした折は少し痩せた感はあったが、自分のことよりも私共、 教団のことを案じて下されたお言葉やお姿が目に焼き付いている。 大國講の副総裁の任も長く務められた。 常に私を想い励まし続けてこられた。 「大和教団は必ず一を抜く教団になる。教主様の祈祷は誰にでもできる祈祷ではない。 教主様は天皇陛下とも必ずお会いできる」と語られたこともあった。 開祖様に仕え、私に仕えた教団にとって、私にとってかけがえのないお方であった。 大和の教師として開祖様と共に御守りを、そして安らかな神上りを乞い祈むものである。 平成二十三年十月七日 教主 |
2011/10/05
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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十月一日、神無月を迎えた。出雲地方では神在月という。 出雲大社に八百万神々が集われる月となる為である。 月始祈願祭を先月に引き続いて奉行する。 心魂込めての祈祷は実に爽快感を味わえる。祈祷冥利に尽きるものである。 教化会においては支部数が前期目標200支部を上回り213支部との報告があった。 小支部ながら次々と設立していくことに奇毘なる力が漲る。 後期目標数は300支部設立である。 一丸となって頑張っていきたいものと念じるものである。 今日四日より一人の婦人の準教師資格講習を始めた。 その方の母は昔、婦人部長を務めた人であった。 今、六十後半を越えし年齢となったが、信仰の何たるかに目覚め努力している。 霊性もすこぶる開きつつある。 姿も修行により若やいできている不思議さをみるものである。 若き心を若き体を信仰生活によって授けて頂きたいと乞い祈むものである。 平成二十三年十月四日 教主 |
2011/10/02
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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今日より十月、神無月となった。 震災より早や七ヶ月が経過しようとしている。 仮説住宅に移住した方々の生活苦、環境の悪さが伝わってくる。 これから寒い時期となる。心配である。 教師職員役員、そして心熱き信奉者の力で九月期は132支部が結成された。 四月期から換算すると211支部設立となった。 来年二月二十五日までに500支部設立の達成目標を 今朝の教化会議にて申し合わせした。 『大和の大御名で此の世を清め為せ』 『大和の精神は全人類の心のふるさとでありよりどころである』 との御神命を果たす為にである。 皆もようやく信仰組織構築の真義を解しつつあることに嬉しく思うものである。 今は小さな支部であるが、三ヶ月、半年後、そして一年後には 立派な支部に成長することを期待するものである。 この大震災を契機に我が教団はその威を増している奇毘さを感じている。 有り難いことである。 平成二十三年十月一日 教主 |
2011/09/29
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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教師資格取得特別講習会を九月七日から九日、二十七日から二十九日と 六日間に亘って指導させて頂いた。 百日間参籠奉謝行をしている修行者に加え、職員三名での講習である。 大和宗教、大和信仰の根幹となる学びである。 祭式作法においては皆一様に面白い体の動きをする。 人間の持って生まれた癖が顕現する。 尋ねた事への反応もその姿を如実に示す。 指導はそのいたらぬ癖を見抜き矯正することが要である。 私の講座はただ知識を与える学校ではない。 これまでの生き様にて気付き得なかったものや、 気付いても放置していたものを矯正するものである。 大和の教師は不足を覚って、 不足を満足にする指導力を身につけなくてはならない。 人・物を深く観察洞察する力を身につけなくてはならない。 その上での判断力である。今日でまずは結びとなる。 教団の為に、そして世人の為に生きた力を身につけさせなくてはと 念ずるものである。 平成二十三年九月二十九日 教主 |
2011/09/25
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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九月二十三日から二十四日と秋の御行である六根大行が行じられた。 大國神社で身支度を整え、奉告祭を事なし、山形の湯殿山へと出立した。 本年は御神託にて滝行は慎みて姥神様の御前にてご供養の道を懇ろに奉行した。 斎主奉仕の巫女に開祖様をはじめ次々と御霊が降臨されたという。 雨交じりで気温も十二度という肌寒い気候ではあったが、皆元気であった。 昨年よりも十七人も多い修行者となったことは喜びにたえない。 修行者の中には被災地からの人も多くいた。 教主として信仰の篤さに有り難く手を合わせるものである。 一時間三十分程の講義をなし、翌朝二時よりの湯殿山本宮の石畳に座しての 祈願拝神行を執行した。 天空には星の光も見え隠れしていた。 神拝詞奉誦の声と鈴の音が一切を清めるに足る響きとなり、 霊響(ひびき)と変化していく。 正に六根清浄、六根清浄の境を現出する。 行ほど尊いものはないという境地を感体するものであった。 湯殿より大國神社に帰山、火祭祈祷・浄霊祈祷を執行させて頂いた。 結びに講義を行い、体験感想の発表を最後に秋の御行を無事行修させて頂いた。 皆もほとんど寝ずでの一夜二日の修行ではあるが、 身魂を鍛え磨くその一行として頂きたいものである。 また、出発日の二十三日に信仰組織拡充のための本年度前期の目標であった 支部設立200支部達成の喜びをも共に拝し奉ったことに感謝するばかりである。 平成二十三年九月二十四日 教主 |
2011/09/22
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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九月二十一日、恐ろしい新聞記事を読んだ。 『十六歳少女覚せい剤使用容疑で先月逮捕。「母親に勧められた」と 道警に供述。売春の強要も』という内容であった。 この少女は小学六年の頃より母親より『金を稼いでこい』と命じられ、 売春を繰り返していたようだ。 今年六月頃に体調を崩した際、「すっきりするから」と覚せい剤を 勧められて使い始め、十回ほど養父に注射されたとも書いてあった。 腹を痛めた我が幼子にである。 世も末とはこういうことをいうのであろう。 恐ろしい世の中になったものである。 未成熟な娘が未成熟なまま身ごもって子供を産む。 自分の快楽の為には善悪の見境なく欲望のままに行動する。 自分だけならいざ知らず、我が子にもである。 人間ではない人間、人間ではない人が人の仮面を被って生きている。 これが恐ろしいのである。 これからもこの類の人間は増え続けていくであろう。 尊き生命を頂きながら、必然的に不幸な人生を送らなくてはならない 受難の時代に分け入った子供等を、私たちはどうすることができるであろうか。 未成熟なままに体のみ成長する人間等をどう教化できるのであろうか。 よくと考えていかなくてはならない時がきている。 平成二十三年九月二十一日 教主 |