教主様のお言葉 - 最新エントリ |
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最新エントリ
2025/04/21
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月19日、自修行常の如し。 事務遂行、定期内科検診にて11時15分に出る。 先月の採血採尿での検査では血糖値他異常なしと。 血圧が少し高止まりとのこと、薬は一種一錠で増やさず様子を見ることになった。 北海道から御子息が戻り往診に入られたという。 何よりではある。 今日は殆ど待つことなく診察を終り、午後1時には帰宅す。 教務部長より篤信者さんが帰神墓に更に2柱申込まれたという。 有り難きことである。 御霊等の喜びでもあろうと。 25日まで第二期埋納祭分をまとめなければならないが、まだ動きが鈍いようである。 夕刻より潔斎、鎮魂に入る。 日報検分にて大分遅くなり、午後10時半となる。 感謝拝なし一日を感謝す。 その後、執務座にて諸々の事務整理す。 翌20日、自修行常の如し。 今朝も訳の分らぬ夢をみる。 このところこのような夢をみるが、全く意味なきもののようだが、起きがけの夢に多いようだ。 朝食後、事務遂行、5月出版予定の「こころ」の序にかえてを再検分、修正す。 昨日、素稿をしたが、御神導の任に修正、加筆加除す。 総長に私の略歴にて再訂正のところを、資料と共に送信す。 夕刻よりは日々の謹行等に入る。 令和七年四月二十日 教主 |
2025/04/19
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月18日、昨夜は事務遂行にて午前2時頃に床につく。 睡眠時間は余り取れずも体調はよい。 自修行なし、教務総長、事務総長に業務指示す。 事務総長は上京し、明日午前中に帰庁とのこと。 『神ながらの道』第一稿修正、加筆す。 よい編集のできることを乞い希う。 教歌6首起こす。 産経抄に『日露戦争に幕を引くための小村寿太郎氏の大和魂の腹のすわりし交渉の作戦。 それに引きかえトランプ氏との会談後の赤沢氏の言葉に「私は格下も格下」とは卑屈に過ぎよう』と断じられていた。 トランプ氏が執務室の机のイスに座し、その側に立つ赤沢氏の破顔の姿がそれを物語っている。 日本を代表しての立場を己が個人の立場にしてしまっている。 小村寿太郎氏とはその度量の違いすぎるを観るものであった。 情けない小人小器の人間ではある。 日本の国を格下してはならないものと私も一言申し上げておきたい。 誇りある日本をではある。 私共日本国民は、幕末の御代より異国より侮られてはならじと。 まして欧米列強国の植民地となってはならじとして、和魂洋才の心をもって努力をしてきた。 大東亜戦争で特攻隊となって護国の華として散華した若き人たちの死にざまを。 そして、敗戦をなしGHQ総司令官のマッカーサーに昭和天皇が面会し、 「我が身はどうなってもよい。国民の命を救ってほしい。食糧を与えてほしい」と願いし崇高なる精神を、 マッカーサーは欧米列強国の元首等は敗ければ亡命か命乞いが当り前の世界にて、 昭和天皇も命乞いに来たのだろうと高を括っていたが、 我が身を捨てて国民を救わんとされるそのお姿に深い敬意を表したと伝えられている。 我が日の本の国は小国といえど小国に非ず。 世界中の民族の持ち得ない大和の心・魂を、崇高なる精神を大神より授けられし唯一の民族である。 金権物質万能主義の物主心従の人種に非ずして、心主物従の、真逆の精神をもつ唯一の民族であることを、 大神の大御心をもって、常に我々国民を、世界の平穏を願われし天皇陛下を真中に仰ぐ、 精神超大国であるを卑下するは言語道断にて、大いなる誇りをもって、異国人と折衝をして頂きたいものである。 政治家の皆さんには切に望む次第である。 令和七年四月十八日 教主 |
2025/04/18
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月17日、自修行常の如し。 昨晩は午前1時半頃に床につくも、極めて爽やかなり。 9時過ぎに教務部長に電話をなし、昨晩の指示案件等を確認す。 また、今日の午後より瑞詮寺出立とのことにて心得べきを伝う。 事務整理なす。 今日は一日ゆるりとした日を過させて頂いた。 熊川君の日報にて、一日一善一浄の積極的実践にて神社境内の清掃、破損箇所の補修等々、体に染みついてきたようだ。 嬉しいことである。 これから潔斎、謹行に入る。 後、書斎にて資料検分、鏡君が『幸縁の銅鐸』の取付を考え美装に仕上げた。 標示板もよいものとなった。 総長の『教主様神ながらの道』の原稿もよいものになりそうである。 5月中旬に完成すれば印刷製本は5月中に間に合いそうとの報告あり。 努めてほしいものである。 今日も一日を終えた。 拝謝せん。 令和七年四月十七日 教主 |
2025/04/17
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月15日、自修行常の如し。 朝食前、田中君に銅鐸の標示文言について大巾修正をすることにした。 大神様よりの智恵を賜り、私の考えの到底及ばぬを知るものとなった。 田中君に書体、寸法全てを指示す。 この後、教化会の要項を検証す。 多岐に亘りてどのように運営するか惑うものであるが、明日までにご神意を拝さねばないものと。 昨晩より信者さんが作って下されたパンプキンケーキを頂いている。 有り難きことである。 夕刻より潔斎、謹行に入る。 翌16日、自修行早目とする。 8時40分神社へ。 奥都城を拝し祈念す。 9時半より特別神事執行、御神導、御神助の御蔭をもって、よい神儀となん。 後、11時半より教化会に出席、講義す。 午後1時45分迄の2時間余となる。 今日は『教師・役員の使命と心得』を深解き、教師がしかと役員、信者さんを教育する力をもつことの大事を説く。 その為には自らが大和を信解し、信行するが要であるを。 皆の見送りを受けて館に戻る。 少し寛ぎて事務をとる。 夕刻より潔斎、鎮魂に入る。 資料検分に時間を要す。 祈りの間にて感謝拝をもって一日を終える。 令和七年四月十六日 教主 |
2025/04/15
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月13日、自修行常の如し。 9時半に神社へ、奥都城を拝す。 桜も大分ほころび始めた。 3日後には綺麗に咲き誇るであろう。 品川弓教師より昨日命じた神託の結果を尋ねる。 ほぼよしとすも少し助言す。 夫である本教大講義職の品川雅之君の浄霊、永代奉斎之儀を仕える。 玉串拝礼後に語り掛ける。 涙がとめどなく溢れ出る。 昨夜来、私に憑りしを感体してはいたが。 私の弟の如き弟子でもあった。 67歳の若さにて膵臓癌を患いて、この3月22日に帰幽した。 愛すべき弟子を失った。 幽冥で開祖様にお仕えし、弓さんをはじめ私共信奉者の守護霊神として守り頂きたいものと祈る。 翌14日、雨落つる朝となり、自修行常の如し。 事務をとり、後、朝食を頂く。 書斎にて夜遅く届きし日報、感想文等確認、指導す。 これで全教職員分揃いしかと。 私の心を打つもの、的外れのもの、おざなりのものと様々ではあるが。 何れもその者の心情の浅薄が観えるものである。 このブログ清書の奉仕を下さる元職員にも随想記の感想文を誘う。 昨日いよいよの大阪万博が開幕された。 『未来社会のデザイン』をテーマに10月3日までの184日間という。 海外パビリオンのうち5館は工事の遅れで間に合わずとも。 大変な人出となっているが、来館者の皆の良い想い出として、日本の繁栄、そして世界中の争いなきを乞い希うものである。 16日の特別神事の願詞を再三修正加筆にて、今朝ようやく納得すものとなった。 数々のお導き、智恵を拝してのことではあるが。 もう昼となる。 外の雨は止みつつあるようだ。 午後よりは16日の教化会の要項まとむ。 後、夕べの謹行に入る。 令和七年四月十四日 教主 |
2025/04/13
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月11日、自修行常の如し。 朝方に不快なる夢を見る。 久しぶりの夢ではあったが、霊夢に非ずの神託を拝す。 品川教師の浄霊永代奉斎は4月13日と決定す。 横尾君と『心の章』の刊行は一年の御神託記版サイズと決定す。 標題も検討するをや。 致知月刊誌を少し読む。 苦労をなし乗り越えし人に共通するは愚直に事を為し続ける、信念の力をみるものである。 大和の教えの一つではあるが。 遠藤教師より資料届く。 16日執行神事の為のものではある。 夕べの謹行に入る。 熊川教師よりは大和帰神墓埋納祭祝詞の原稿が届く。 黙読すも明朝しっかり目を通すごととする。 今日も一日終る。 感謝ではある。 翌12日、自修行常の如し。 一日暖かい日となった。 報告によればお山の桜も三分咲きとなったと。 今日は13日と16日の霊璽祈願詞を作文す。 大分時間を要した。 品川教師には神託伺いは先ず自分でなしてから私に願い出よと厳しく指示す。 巫女教師等に伝えているが、すぐに私に願い出る。 私の時間もあるが、巫女の霊能力向上図るべく少し厳しくことなさねばと。 私の根底には、やはり甘いところがあるようだ。 今日は大阪万博の開会式の日である。 180日余の長期間だが、事件、事故等のなきごとの終了を希うものである。 熊川君より大和帰神墓埋納祭の祝詞の修正文が届く。 全体的にはよしであるが、少し手を加えた。 それでもこれ位書ければ私も楽になるものと。 もう潔斎、鎮魂に入らねばない。 令和七年四月十二日 教主 |
2025/04/11
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執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月9日、自修行常の如し。 午前中事務遂行、遠藤巫女教師に願い出の件にて確認す。 午後1時半、所用で田中君随行にて出かける。 道中、私の先日の講演、教職員にCDを夫々がしっかり聞いて学ぶを。 また、教報の随想記もしっかり心に入れ、信者の皆にも伝うるが当然のことであるを伝う。 この如きを私が云わねばなきごとに慨むばかりではあるが。 5時前に帰宅、夕べの謹行に入るべく潔斎す。 翌10日、自修行常の如し。 教務部長はじめ、職員の人に夫々業務指示す。 我が家の庭も色とりどりの桜が満開となった。 大いに春を感ず。 うぐいすさんの鳴き声も美しくなってきた。 今日は教歌を9首起す。 毎日6首の意気込みはあったが、私の奉務の状にては中々に難しきを覚るものとなん。 それでも1万首を達成せねばとの心意気は大である。 資料の確認なし、整える。 教務部長に諸々指示した中で、私の教報掲載中の随想記に総長より感想文が届けられた。 己れの心の清めと相まり、私も嬉しく心清められ豊かにさせて頂いた。 文字霊と清しき反省と心の改めにではある。 夕べの謹行、常の作務をなす。 令和七年四月十日 教主 |
2025/04/09
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月8日、自修行常の如し。 総長より私の経歴書の中での大学卒43年度とあるは44年3月卒となるとのこと。 私は43年3月卒との考え違いとの指摘あり。 話を聞きてなるほどと合点す。 6日の開教祭での私の講演をCDにて改めて聴くと誠に穏やかなる口調にて、 開教神宣の御教えより心、魂と身との太陽・地球、月と況ゆる太陽系宇宙との関縁を解析。 その後、開祖様が神ながらの道に入る縁を『開祖様の歩み』の小誌を紐解きながら1時間余の話であった。 私の話は神の任ににて、自分自身、後で聴くと大変学ぶところとなる。 私は信仰者の皆に『大和は宇宙真理を実践する教えである』と。 正にその一端を語るものであった。 そして、開祖様の偉大さをもではある。 少しく信仰者をはじめ、次代を担う教師等に残す為ではあるが。 我れながら有り難き講演であった。 御神導に拝謝すものである。 また、即座の横尾君の編集に感謝である。 孫娘が高等学校の入学式に出かける。 よい学校生活を送ってほしいものである。 夕刻より謹行他に入る。 令和七年四月八日 教主 |
2025/04/08
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月7日、自修行常の如し。 一夜明けて昨日の疲れもなく、すっきりとした朝を迎う。 朝食後は教歌を起す。 4日ぶりとなった。 毎日6首起すは思ったほど容易ではないことを。 それでも今日は12首ほど起す。 これまでの私自身の身上のことを引き続きまとめおかねばないものとの想いが湧き出している。 もう夕刻である。 潔斎なし、謹行に入る。 行終わりて書斎へ。 資料検分、神社にグループホーム30名余の人が参集殿レストランでは弁当を食し、 トイレで用を足し、本殿参拝されたという。 桜が咲かずに残念がっていたとか。 元教団職員の奥さんも来ていたとか。 祈り間にて今日一日の感謝の祈りを捧ぐ。 令和七年四月七日 教主 |
2025/04/07
カテゴリ: Miscellaneous :
執筆者: taiwa2 (12:00 am)
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4月6日、自修行常の如し。 今日は終日天候よろしとなった。 9時半より神変社にて嗣親改め教務総長が斎主を仕え、副斎主として教務部長が神変御下駄禁厭祈祷を、同じく祭儀部次長が火祭祈祷を斎行す。 11時よりは予定通り祈祷殿にて開教祭が開祭された。 引き続き11時45分より13時まで『開祖様、神ながらの道に入る』と題してお話させて頂いた。 久しぶりにて1時間余も立ちての講演で腰がかなり痛苦しくなった。 それでも宇宙と私たち生命との関わり、開祖様のご生誕より神の道に入るきっかけから8年間の修行時代を皆さんにお話させて頂いた。 皆さんも感動大であったようだ。 この後、特別室で2時間程、助勤者である教務総長、事務総長、教務部長、教化部次長に、敬一郎さんの遺品の笏を、 祝詞などを書き記めしノート2冊、葬儀の数多の人々の行列の写真、開祖様と父親の結婚の記念写真を回示す。 父親の口髭をたくわえた端正なお顔立ちに好男子を見るものであった。 開祖様もふくよかなお顔立ちの写真であった。 我が子教務総長も初めて見るものであった。 次に私の誕生より平成6年までの人生の歩みを年表にしたものも回示した。 皆も驚きの状で見入り、私の話を聞かれていた。 神の道への厳しき修行をも伝えおきしものとした。 そして、後に続けの志しをもてとの意をも含みてのことではあるが。 後、神明奉仕の導きを、自ら求めるの誘導をなした。 午後4時過ぎに帰宅なし、どっと疲れが出てくるの感じであった。 しばらくリビングのソファに座し、寛ぐ。 5時半より潔斎、謹行に入る。 今日の神祭日に有り難く感謝すものである。 令和七年四月六日 教主 |