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教主様のお言葉 - 最新エントリ
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最新エントリ
2013/06/14
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
6月12日、大國神社祖霊殿の上棟祭が斎行された。

心配された雨も落ちず厳粛なる儀式となった。

工事関係者9人も所役を奉仕された。

古式にならいての儀式は工匠所役の方も生涯の想い出となろう。

また参列者の方も初めて見る儀式に感動なされたようである。

統理以下祭員・所役の方、皆が習礼を念入りになされての今日の儀式であることも附言しておきたい。

木の香の漂う殿内は何ともよい気の流れを感じる。

屋根上に取り付けられたる威儀物は勇壮そのものである。

10月末には完成の運びではあるが、工事安全にて怪我災難なきを願うものである。

散餅散銭の行事も、正参道沿いに造られた特別ステージより威勢よく振舞われた。

これまでの主たる建造物は全て私が斎主奉仕をしてきたが、これよりは統理にその道を歩ませてゆくものである。

人間、須らく体験である。

伊勢神宮・出雲大社の遷宮・遷座の吉年に造営の巡り合わせを頂いたことに感謝するものである。



         平成二十五年六月十三日 教主
2013/06/10
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
6月9日、大國神社において教主誕生祭が斎行された。

私も早いもので数え年69歳を迎えるも、教信奉者の皆さんには

『これからの10年が宗教者としての真の仕事の始まり』

と言告げさせて頂いている。

その為に禊合気で気を練り、体を整えている。

今後の3年間で教団組織を固め、世の為、人の為に大きく飛翔したいものと希っている。

その為に、どのような場を造り、教義を広め、教化育成が可能か、

これが甚だ難しい問題である。

信仰教育の場をどのような所に造るか、造れるか、家庭の中、社会の中、

様々な場での展開を模索せねばないのだが・・・。

日本人口の1%の各教団の信仰者が熱い心をもって教化育成の神業に奉仕すれば、

今の世の宗教嫌いも消滅するものと思っている。

国民皆信仰の旗印を改めて掲げ進まねばならない。

今日の祝いの場に参加された多くの方々のお心に感謝するものである。



         平成二十五年六月九日 教主
2013/06/08
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
6月7日、新宗連の理事会へ出席するために上京した。

今回は妙智會さんを会場としての開催であった。

御法殿の参拝に誘われ貴賓室に案内された。

岡野理事長、事務局長を交えてこれから行われる会議進行の流れを確認した。

今回は19名の理事のうち12名の参加であった。

多くの資料があり、事務局でこれだけの資料を作成することも大変な作業であろう。

決算書ひとつとっても然りである。

資料の全てを通読することも難しい。

最小限度のものに集約できないものかと考えてしまった。

私も2、3質問をさせて頂いたが、諸先生方はどのようなことをお考えなのであろう。

運営者としての理事の機能をもっと明確にしていかなければならないと思う次第である。

学習会では憲法問題を学んだ。

改憲派を弁ずるも護憲派に結ばれるような講演であったと感じられた。

新宗連加盟教団にてどちらかに定めるは甚だ難きものであろう。

国家観をも超えた次元での協力体制を模索せねばないものと考える次第である。



         平成二十五年六月七日 教主
2013/06/01
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
5月29、30日と富山の瑞詮寺に出向した。

総勢10人の奉仕隊である。

当初の計画を変更し、本堂他を解体、全く新しく建造することとなった。

その為に諸仏諸神の御霊を一時、奉還なしての本部への搬送となった。

小さな仏像ではあるが、50体にも及ぶものであった。

百年有余の歴史ある寺ではあるが、諸々の事情によって宗教法人の解散となった。

今後は本教団が法灯を守りての教会となる。

祖父敬一郎の出生地にて、初代敬一郎よりの先祖を守ることともなった。

2日間とも雨降りではあったが、寺の辺りは雨落ちずで大変有り難く、荷の積み込みができた。

加藤室長の荷の梱包、トラックの積荷の能力機転には感嘆するばかりであった。

2日間の教職員の奉仕により無事、滞りなく帰山させて頂いた。

皆も疲れたであろう。

明日は三山登拝の役員会でもある。

感謝です。

心より有り難うを述べるものであった。



         平成二十五年五月三十一日 教主
2013/05/26
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
韓国の中央日報が日本への原爆投下を『神の懲罰だ』とする記事を掲載し、物議を醸している。

この記事を書いた論説委員は、韓国では優秀な記者として表彰されたそうだが、

記事からは被爆者への思いやりのかけらも読み取れない。

慰安婦をでっち上げ、国際的に日本を貶めようとしている。

橋下大阪市長はこの問題に一石を投じたものといえよう。

少々口の滑りはあるものの、『日本だけ何故に問題視されるのか』という提言には私も共感している。

植民地化においても『何故日本だけが』である。

日本国民はよくと歴史を見つめてみる必要があろう。

日本人は、このような論評が掲載されても、韓国に対して何の異議も申し立てていない。

そういう国民性なのである。

この立場が逆であれば黙っていないであろう。

私は日本人として生まれてきて、本当に良かったと思っている。



         平成二十五年五月二十五日 教主
2013/05/25
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
5月23日から24日の二日間にて、教主特別講習会を開催した。

18、19日のみそぎ大行の直後ではあるが、突然の御神示にて執行した。

本部教師のみで、神明奉仕の奉仕たるの真意を説くがよしとの神意であられた。

統理も総監もまだ若い。

まだまだご神意を解することは不如意である。

震災後の第一期布教の域は構築せしも、第二期の役員の教化育成は道遠しである。

その力を得るべく此度の講習会ではあった。

教師皆には険しい緊張感はなく、和らぎの高揚感さえ感じられる場となった。

私にも何かこれまでと違う指導となっていたように思われる。

『笑いと和み』そして程良い緊張感にて私の伝えしごとをよく解していたは驚きでもあった。

これからの教化布教・教育は成果を上げてくるものを実感するものであった。

26日は秋の宮道場に出向し、役員会を開催するを指示している。

楽しくも稔りあるものに致したいものである。



         平成二十五年五月二十四日 教主
2013/05/20
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
4日間の北朝鮮訪問を終えた飯島勲内閣官房参与が18日、経由地の北京から羽田空港に帰国。

菅義偉官房長官と約一時間会い、拉致問題についても話し合ったという。

少しでも前進解決に向かうことを祈るものである。

橋本大阪市長の慰安婦発言問題も飯島内閣官房参与の訪朝にも

内外よりとかくの批判はあるが、やらねばないことはやらねばない。

云わねばないことは云わねばないだけのことである。

事起こさねば世の中は変わらぬことも確かなことである。

5月18日、19日の2日間にて、みそぎ大行が大國神社と万象館で行われた。

私は御神意にて統理に全託することになった。

万象館より禊行の掛け声が勇ましく聞こえてくるも、私には只管辛抱の行でもあった。

今回は参行者が例年の半数という。

行事が続いて少々信徒も疲れ塩梅なるはやむを得ずであろう。

それでも参行せし修行者には大きな行徳が授けられしものとなるであろう。



         平成二十五年五月十九日 教主
2013/05/16
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
5月10日より13日にかけての3泊4日にて、出雲大社遷宮祭の参列と九州の旅に出かけた。

教団の三役が全員での出向となると少し懸念するものではあったが、

60年に一度の遷宮には私共としては是非とも参列させて頂かねばならぬ大事でもある。

出雲大社付近にてもバスの交通量は少なく、予想していた渋滞はなった。

5時前に受付を済ませ、ご案内を頂くと、御垣内に誘導された。

私たちは国造家親族の名札が貼られている席の後列に座らせて頂いた。

立派なテントと胡床が準備されていた。

2時間余の時間の後、儀式が開祭された。

警蹕の『オー』という発声と共に境内を一周され、御垣内に入られた様子であった。

マイクの使用はなく、太鼓・笛・警蹕発声の音のみにて、

祝詞奏上もところどころ幽かに聞こえるものであった。

見ることも聞くこともほとんどなき儀式にて、黙念鎮魂の5時間余の座行となった。

60年に一度の甦りである。

その清新なる神威を拝戴する感謝・感動の刻であった。

見るも聞くもなき儀式にありても、一同、大満足の心であり表情であった。

これこそが神の稜威であり神徳なのであろう。

千家管長様のご配慮に感謝するものである。

5月11日は、朝の1時間程の行を執行、朝食の後、出雲大社の奉幣之儀に参列した。

今日は3時間程の黙念鎮魂の座行となる。

直会は欠席申し上げ、出雲駅より岡山まで特急列車に乗り、

岡山より8分間の急ぎ足にての乗り継ぎにて鹿児島まで九州新幹線に乗車した。

車内はグリーン車の如き座席であった。

途中より父兄同伴での子供等が乗り込む。

子供等がうるさくしていても誰も叱りもしない。

何かのサークルのようであったが、大人等が10人程もいて、

公共のマナーを躾することをせずである。

一言注意しようかと思いし時に下車となった。

大人が大人でなくなっていることに腹立つ自分がいる。

9時前頃にホテルに入り休む。

無事なるを感謝するものであった。

5月12日は終日観光であった。

武家屋敷、知覧、仙巌園、桜島と、名ガイドの案内を楽しむ。

そして面白いことを話していた。

一番嫌いな客は女子高生の修学旅行だという。

ミニスカートで足を投げ出し、パンツが丸見えという。

女子高生が云うには『見せパン』をはいている大丈夫ということらしい。

挙句に化粧をし、香水を平気でかけるとも。

恥じらいも慎みもなくなった状を知るものであった。

教師も注意しないことが多くなったとも話していた。

武家屋敷の石垣と植栽が美しい路地を造っていた。

この中で生活している人は大変であろう。

『バンマツリ』という木に白と青の小さな花が美しく咲いていた。

うちの神社で育つものか調べてみたい。

知覧では突然建物が停電となり、特攻機と少しの手紙を観る。

またゆっくりと来てみたい。

仙巌園は雄大な桜島を望む庭園である。

太洋を眺め桜島を望めば、大き心となるは必定と感じ入った。

私も更なる大き心を造り、宗教活動を展開せねばの想いを新たにするものであった。

桜島の噴灰は生活苦を強いるという。

黒い灰がそれを物語るものであった。

この日、霧島山上ホテルに泊まる。

広い部屋で実に気分よし、風呂もよしでゆるりとさせて頂いた。

料理も美味しなり。皆もゆるりとされたようである。

5月13日、最終日を迎えた。

ホテルを発ち、霧島神宮を参拝した。

もうすでに4台程バスが入っていた。

三重層の屋根が荘厳さを見せていた。

古社の美しさである。

私共の優しき社の景観ではない。

境内をそれなりに一人散策した。

神楽殿の玄関、受付等を検分す。

銅板奉納をさせて頂き、九面を求む。

面は予ねてより求めたきものであった。

赤・青の面を求めた。

この後、この旅のもう一つの目的である『サンメッセ日南』へ。

一燈園当番の西田多戈止先生がわざわざ出迎えて下されて、

モアイ像建立の由来や地球感謝の鐘の由来等についても詳しくご説明下された。

大変勉強になった。

地球へのメッセージとして、国内宗教者16名、国外宗教者13名の銘版があった。

昨年度は19万人余の入園者があったという。

二時間程ではあったが、西田先生と親しくお話しさせて頂いたことに有り難く感謝するものである。

伊丹経由にて無事帰仙す。

御神導、御神助に感謝するばかりである。

久しぶりの4日間の旅であった。

教勢拡充の力と致したいものと念ず。


         
         平成二十五年五月十五日 教主
2013/05/06
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
5月5日、10時頃に神社へ上ると、多くの家族連れの方が参拝にいらしていた。

山野草公園への散策に行く人も多く見た。

今日は東京・板橋道場の篤信者の永代奉斎之儀を仕えた。

嫁ぎ先の家、生家、娘の嫁ぎ先の家の先祖をはじめ9柱の御霊をお祀り申し上げた。

顕幽隔てなく守り導き給える大神である大國主大神の膝元にお祀りされる御霊等は安らけく鎮まれるであろう。

帰宅してテレビをつけると、丁度国民栄誉賞の授与式が行われていた。

長島茂雄氏と松井秀喜氏である。

松井氏が巨人に入団してからの師弟関係という。

長島茂雄氏の松井秀喜氏に対する慈しみと、松井秀喜氏の師に対する絶対の信を観るものであった。

日本人の魂しいと魂しいの結びを観じみるものであった。

世間ではよやかく云う者もいるが、良きものは良いのである。

お二人の受賞を日本国民の一人として心より言祝ぐものである。




         平成二十五年五月五日 教主
2013/05/04
カテゴリ: Miscellaneous : 

執筆者: taiwa2 (12:00 am)
5月3日、気温が少々低い中ではあったが、統理を斎主として春のお祭り大國神社例大祭が斎行された。

私は装束を身に着けず白衣・儀式袴・勾玉を掛け、朱塗りの神依板を奉持し席に着く。

途中、火祭の炎が風の為に勢いが増す中、私は席を立ちて火祭りの斎場へと移動し、

火の加減を整えるべく所作をなす。

3人の諸員は今回が初めての者等にて、自分のことで精一杯の状であった。

火の危険、恐ろしさを観じ得ていないのである。

統理もご本殿内にての祝詞奏上は初めてである。

皆祭員も、私の目から観れば60点止まりではあるが、これからの修練稽古に期待するばかりではある。

拝殿の8割程の参列者は少々淋しい場を感じるが、お祭り広場は一般参列者もおられ、

それなりの賑わいを見せていた。

茶店、出店も商売繁盛のようで、なによりであった。

復興祈念碑前にても多くの人が手を合わせておられたと聞く。

有り難きことである。



           平成二十五年五月三日 教主

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